「小鳥のおしゃべり」反省会

今年の7月にこんなことをTwitterで呟いた。


自分の「全ツイート履歴」に記載された月別ツイート数のグラフを見ると、昨年2016年から急激にツイートの数が増え出し、さらに今年に入ると一日平均3~4ツイートするようになった。Twitterを始めたのは2010年の5月で、そこから2014年まで1年の総ツイート数が365を超えることはなかった。それが2015年からやや上昇し始め、気がついたらツイート括約筋がゆるゆる状態になっていた。
今年に入ってツイート数が増えた理由は単純に4年以上使用したXperiaからiPhoneに機種変更して動作がサクサクになったからだろう。また歳を重ねたことにより神経が図太くなって恥ずかしさのハードルが下がったことも要因のひとつだといえよう。
私とインターネットとの出会いは中学1年生のときだ。当時好きだったLIMP BIZKITのファンサイトのBBSに書き込んだり、知らない人たちとチャットしたり(おはつです!)というのが当時のネット上での主な活動であった。その頃からわりとネット弁慶で、調子に乗った厨房に気を悪くした輩に煽られたりもしたが、嫌味ったらしくレスしたりしていた。こういうネチネチした性格は別にネット上に限った話ではない。念のため。
mixiの登場により知人がネット上にその人だとわかる形で存在するという局面を迎え、それ以降は恥ずかしいということもあってネット弁慶的な部分を一部封印しなくてならない状況になった。Twitterの登場以降も何年かそれが続いたが、やはり加齢による居直りまたは増長なのか、ネット弁慶的な資質がこのところ再び現れてきている。
自分の性格や資質には立派なところが一つもないので何か発言しただけでややもすると香ばしくなってしまいがちだ。情緒様御一行という名の団体客が冷静の間で宴会を始めたときに運悪くスマホを手にしていたりすると本当にろくなことにならない。これではまずいのではないかという危機感を最近になって抱くようになった。そこで上半期の自分のツイートを振り返り、反省すべきは反省しようと思った次第ではあるが、もはやそんなことをしたところでは恥の上塗りとしか言いようがない。精神的にくるものがある。また誰かがこれを読んだところで他人酔いして気分が悪くなるだけだろう。自分でさえ自分酔いして気分が悪くなりそうだ。内臓を開けっぴろげに人様に見せるようなもので、そういったことを控えるのが大人のマナーではないのか。
果たしてこれをやるべきかやめておくべきか。自らを恥じ余計なツイートを控えるようになればそれはそれで良いことではないのか。というかそれが本来の趣旨ではなかったか。ひとまず少しやってみることにしよう。少しだけ当たり障りのありそうなものをピックアップして一つ一つ見ていきたい。
1月


この時点ですでにツイート括約筋の弱まりを危惧していた。ペナルティを課すことで、ツイートを控えようという魂胆があった。ところで、わたしはこういうふざけたツイートをしがちなのだが、この手のツイートについて何か言うことは「えーとですね。今のギャグのおもしろいところは…」というお寒いアレと同じなのではないかと思ってしまい、一発目にして意気消沈してしまった。


こういう皮肉っぽいことをつぶやく頻度は今年に入ってたしかに増えた。Twitterというものがむしゃくしゃしたときの駆け込み寺のようになってしまっていることの証左であろう。「ネットの書き込みなんぞ便所の落書きにすぎない」と思っているからこういうことを平気で書いてしまうのだが、このご時世にネットの書き込みを便所の落書きと呼ぶことは時代錯誤であろう。


とにかく早起きというか睡眠不足という状態がいやでいやで仕方なく、早起きするたびに似たような内容のことを呟いている、こういう生理に基づいた不快感を表明することはわりとおこちゃまのすることと言っていいだろう。端的に言えばただのぐずりでしかない。人間として低いステージにいるような気になるからこういうつぶやきは控えたほうが良さそうだ。


こういう公衆道徳に対する皮肉っぽい苦言もよくつぶやいている。マナーというある種の正しさのようなものをバックにつけている気になって強気な発言をしてしまいがちだ。ヤンキーが「ああ?マナー先輩呼ぶぞコラ」と凄んでいるようでザコ感は否めない。毒を吐いたり意地悪を言ったりすることが「でも本当は優しい人なんでしょ」という逆説を生むことはよくあるが、わたしの場合はただ単に露悪的なだけで性根が腐っていることを喧伝する形になってしまっているような気がする。
というような調子で少しやってみたのだが、このように自分の言動に対してクールな態度を取っていると「おまえが呟いたんだろうが!他人事みたいに対応してんじゃねぇよ!」という声が聞こえてきそうだ。お前は誰の目線に立ってものを言っているんだという話である。やたらとクールな反省文を読まされているようなもので、これには苛立ちを禁じ得ないだろう。2時間ぐらい遅刻してきた者にその理由を聞いてみると「ほら、おれって一旦飲み始めると際限なくいっちゃう人じゃない。昨日もそのパターンでさ。だから朝もなかなかスムーズに起きれないんだよね。アルコールのせいで眠りも浅くなるしね。まあまあ。たしかに自己管理が甘いとは思うよ。反省反省。以後気をつけます。なんつって、何度目だよっていうね。そりゃみんなが怒るのもわかるよ。ごもっとも。返す言葉がない」と返された感じか。
クールな眼差しを装うも身振りがひたすら鈍重なために物凄く間抜けである。けれども本人はそのことに気づいていない。そんな状態になってしまっている。自分を相対化することで主体の位置をずらし、なんとなく問題をはぐらかすようなところが自分にはある。自分の行いが常に根本的なところで間違っているという思いを抱いており、その緊張感から逃れるために主体の位置をスライドさせるという手段を取るようになったのではないかと考えている。
広瀬すずが「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「食わず嫌い王決定戦」に出た時に、照明さんについて「どうして生まれてから大人になった時に照明さんになろうと思ったんだろう」と発言してやや炎上したことがあった。露悪的ではないものの、これは不用意な発言としか言いようがない。「色んなことにすぐ疑問を持つ子供がたまにラディカルな質問をして大人をぎょっとさせる」みたいなものをイメージした発言なのだろうが明らかに失敗している。かくいう自分もこういう不用意なことを言ってしまうタイプではある。そういうタイプであるゆえに、あえて露悪的なことを言って根本的なところでの物事への認識の誤りをごまかそうとしている節がある。シンプルにズレてる人から毒を持ったユニークな人へうまいことスライドさせようという魂胆だ。自らの聡明さの欠如に対してこのような戦略を取るようになって久しいが、今はもっと泥臭く物事に対応していかなければと思っている。突飛な発言で物事をはぐらかすことは聡明さとはいえない。
2月以降のつぶやきはもはやこれらのバリエーションでしかないので割愛したい。

 

Masamichi Torii