スヌープ・ドッグとファレルの「Bush」と私の2015年上半期

先々月ぐらいから久しぶりに会う人に太ったかと聞かれることが増えた。そのように自覚しているので、その都度太ったと返事をしている。肉付きが良くなったうえに、学生時代に買った服を未だに来ているから、ボディラインが露わになって太ったことがより目立ってしまう。
昨年の暮れに、帰省して毎日暴飲暴食を続けていたら胃が広がってしまったために、こちらに戻ってきてもラーメンやカツカレーなどがどうしても食べたくなってしまい、欲望の赴くままに日々のメニューを決定していたら、お腹まわりに贅肉がつきはじめ、頬もふっくらしてきて、さらに胸も大きくなってきた。それは売れっ子の中堅芸人を思わせるような太り方で、少し色気を感じさせたりすこともあるのだが、それほどに出世していない我が身を思うと、やはり分不相応であるから、過度なカロリー摂取は控えなくてはいけないと考えつつも、いつかこの食欲も収まるだろうという楽観的な気持ちでやりすごし、結局一年の折り返しに差し迫ったこの頃になってようやく腹が落ち着いてた。
今ここで、今年も半分終わってしまうのかという焦りとも諦めともつかない茫漠とした感慨に十年一日のごとく耽ったうえで、2015年の上半期を振り返ってみて思うことは、ヒップホップの新作が充実していたよなあ、ということである。
上半期に発売となったアルバムに、ケンドリック・ラマー「To Pimp A Butterfly」、タイラー・ザ・クリエイター「Cherry Bomb」、エイサップ・ロッキー「AT.LONG.LAST.A$AP」などがある。他にも、ドレイクやアール・スウェットシャツなどの話題作もあるけれどフォローしきれていない。また、この先も、フランク・オーシャンとインターネットの新作リリースがアナウンスされている。これらのラッパーは腰を据えてヒップホップを聴き始めた2012年前後にちょうど活躍していた人たちでとても思い入れがあるから今年は最高の年だなという気持ちで一杯だ。
2012年にヒップホップを積極的に聴くようになったのは、2011年に刊行になった「文化系のためのヒップホップ入門」という本を読んだためで、このことは個人的なヒップホップ史におけるサードウェーブにあたる。サードウェーブ系男子の面目躍如といったいったところである。そんなことはどうでもいいのだが、とにかく「文化系のためのヒップホップ入門」をキッカケとして、ヒップホップを自分史における「広義のアメリカンポップス」という枠の中に位置付けることができために、それまで今ひとつ捉えどころがないように思えたヒップホップに対してピントが合うようになった。というよりむしろ、度の合わないメガネを外してみたら却ってよく見えるようになったと言ったほうが当たっているかもしれない。

スヌープ・ドッグの「Bush」

今年の上半期にリリースされたアルバムの目玉の一つに、スヌープ・ドッグの「Bush」というアルバムがあるのだが、これがなんとも微妙な感触を残すアルバムだった。

@mushitokaが投稿した写真


まずなんといってもジャケットが謎。90年代のマイナーなギターポップバンドのジャケットみたいでヒップホップっぽくないし、どういう美意識があるのかよくわからない。プラケースも一般的な透明なものではなく、アメリカの雑貨を思わせるくすんだブルー一色で、どういうこだわりがあるのかよくわからない。個人的には好きな色ではあるが・・・
ところで、スヌープ・ドッグとファレルのコラボレーションでまず最初に思い出されるものは、なんといっても2004年の大ヒット曲で、日本においてはテレビ東京の深夜番組「アリケン」のテーマ曲としても忘れがたい”Drop It Like It’s Hot”だろう。

まさにクールの一言。この曲や、バスタ・ライムスの“Touch It”やリル・ウェインの“A Milli”といったタイプの簡素の極みといえるトラックがもたらしたインパクトったらない。ビヨンセの“Single Ladies (Put A Ring On It)”はこれらの曲に比べるとテンポも早く、幾分か派手ではあるが近しいインパクトがあった。
「Bush」に対して、スヌープとファレルのコラボレーションの中から前例を求めるのなら、マライア・キャリーの”Say Somethin’ ft. Snoop Dogg “が最も近いと感じている。

“Say Somethin’ ft. Snoop Dogg”でスヌープは節のついたようなラップを披露しているが、「Bush」においては、もはやラップをせずにほとんど歌っている。さらに男女混声コーラスで脇をがっちり固めており、そのことが、ヨーロッパのセレブっぽいハウスを思わせるスムースさのあるトラックと相まって、スヌープとファレルが背景と化しサウンドが先立つという、スヌープとファレルという世紀の二大スターががっつり組んだお祭りのようなアルバムにとっては謎というしかない不思議な現象が起こっている。その点についてもやはり微妙な感触を残すアルバムだ。
コーラスパートの多いアルバムである「Bush」において最も多くバッキング・ボーカルとしてクレジットされているのはギャップ・バンドのチャーリー・ウィルソンで、これまでにもスヌープのアルバムで何度も客演を果たしている。ヒップホップとは縁のある人で、最近では、カニエ・ウェストの“Bound 2”や、タイラー・ザ・クリエイターの“Fucking Young/Perfect”でもその歌声を披露している。ギャップ・バンドといえば、Nasの“Life’s A Bitch”の元ネタ、“Yearning For Your Love”でおなじみといってしまっていいのか自信はないが、とにかく80年代に多くのヒットを飛ばしたファンクバンドだ。
また、チャーリー・ウィルソンとともにバッキングボーカルとしてアルバムに貢献しているのはRhea Dummettという人物で、ファレルの“Happy”で聴くことのできる印象的な“yeah!”の声の主は彼女とのことだ。ファレルの率いるi am otherに所属しており、ツアーにも参加しているそうで、今年のサマソニでも彼女の歌声を聴くことができるかもしれない。
「Bush」の一曲目を飾るのは、先日PVが公開にもなった”California Roll ft. Stevie Wonder, Pharrell Williams “である。カリフォルニアロールといってもアボカドの巻き寿司のことではないことがうかがえる。

この曲などは、早起きした夏の朝に、散歩がてらに向かった喫茶店で流れていたりしたら、もう惚れ惚れとしてしまうのが容易に想像できる。というより、そんな御誂え向きのシチュエーションなど用意する必要もなく、音楽に耳をかたむけるだけで良い気分になるし、ああ、良いわぁと言って、うっとりとすること必至である。
ファレルとスヌープ・ドッグたちはカリフォルニアのウォーム&テンダーな日差しと空気をこの録音物に閉じ込めることに成功している。カリフォルニア州に足を踏み入れたことは生涯のうちに一度もないが、そんな気がする。しかし、そのような空気に触れることは、我らがPTAの最新作である「インヒアレント・ヴァイス」を観ることにより追体験が可能である。
ちなみに私はこの曲を聴いてフランスのAirというイケメンな上に音楽の趣味が非常に良いバンドのことを思い出した。“la femme d’argent”という曲はかつて東京ディズニーランドのトゥモローランドでBGMとして流れていた。”California Roll”のPVに出てくるアトラクションは「スターツアーズ」みたいだ。ついでにMoog Cookbookがカバーしたサウンドガーデンの名曲“Black Hole Sun”のムーグアレンジバージョンが流れていたことも書いておこう。うーむ、スペース・エイジ・バチェラー・パッド感覚。
「Bush」から感じ取れる手練れの技であるゴージャスでスムースな感触、そこはかとなく漂う緊張感とある種のイージーさにある時期のA&Mレコードを連想してしまう。と言ってみたものの、A&Mレコードについて詳しいわけではないし、A&Mつってもスワンプとか色々あるじゃんといった話もあるのだが、今はそのことをさておくとする。
スヌープがラップを控えてボーカルを取った「Bush」というアルバム、あるいはそこに収められた曲は、A&M産の、バカラックが自ら歌声を披露した自作の曲や、ハーブ・アルパートの”This Guy’s In Love With You”、ニック・デカロの「Itarian Graffiti」といったようなものとはいえないか。いえたとしてそれがどうしたという話ではあるが・・・
ボーカルについては置いておくとしても、少なくともゴージャスな面においてはクインシー・ジョーンズがA&Mに残した諸作に共通点を見つけることができるだろう。
「Bush」というアルバムは、かつてのA&Mのレコードがそうであったように、スヌープとファレルというスターのキャラクターが背景化したのちに、現在とは違った角度から評価を受けるのではないかと考えている。むしろ現時点ですでに、「リアルタイム再評価」とでもいうような、いささか倒錯した聴き方になってしまっている。それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。
クインシーといえば、「Bush」のどこかでマイケルの”Wanna Be Startin’ Somethin’ “を引用したようなところがあったような気がしたのだが、忘れてしまった。しかし「Bush」はどちらかというと「Off The Wall」的である。ネプチューンズで飛ばしていたころから、ジャスティン・ティンバーレイクとの仕事などで「Off The Wall」を思わせるサウンドには取り組んではいたが、それはバグを起こしたようなところがある突飛なものであった。今回の丁寧に作り込まれたトラックは「Off The Wall」のようなスムースさがある。
ここ数年、若手ラッパーのアルバムでプロデューサーとしてクレジットされたファレル・ウィリアムスの名前を見ることがままあった。例えば、手持ちのものから羅列していくと・・・フランク・オーシャンの「channel ORANGE」(2012)では”Sweet Life”、”Golden Girl”の2曲を、ケンドリック・ラマーの「good kid, m.A.A.d. city」(2012)では”good kid”を、ウィズ・カリファの「O.N.I.F.C.」(2012)では”Rise Above”を、アール・スウェットシャツの「Doris」(2013)ではチャド・ヒューゴとともに”Burgundy”を、マック・ミラーの「Watching Movies With The Sound Off 」(2013)では”Objects In The Mirror”をプロデュースしている。これらのトラックの多くは、スローテンポで、サウンド的には今日的なダークな響きがあり、総じて渋めである。一聴してそれがファレルの仕事であると判別するのは難しいところがある。これらをファレルのダークサイド仕事と無責任にいっておこう。ダークサイドといってもサウンドの傾向に限った話で、心理的なことはここではどうでも良い。あくまで仕事であるところがミソだ。
一方、2013年にリリースされたマイリー・サイラスの「Bangerz」に収録されている”#GETITRIGHT”と”4×4″では、その後の「G I R L」で聴くことのできる陽気者サウンドというべきトラックを披露している。
同年、これまでもファレルとのコラボレーションでヒットを飛ばしてきたJay-Zによる「Magna Carta… Holy Grail」では、”Oceans”と”BBC”をプロデュースしている。フランク・オーシャンをフィーチャーした”Oceans”は、アディショナル・プロデューサーとしてティンバランドがクレジットされている。この曲はダークサイド仕事といえるだろうが、一方、ナズをフィーチャーした”BBC”はファレル的な陽気なビートの上に仄暗い色彩のアコピのループがのっかった折衷サウンドといった趣だ。
また、2013年はフランス製のロボット二人組やロビン・シックとの仕事が大ヒットを記録した年でもあった。その後、ファレルがHAPPY街道をまっしぐらであることは皆さんもご存知のところであろうが、個人的にはダークサイド的な裏方仕事が念頭にあったので、表の顔で浮上してきたことがとても意外に思えたのだった。
ところで、今年の大目玉アルバムであるところのケンドリック・ラマーの「To Pimp A Butterfly」に収録された”Alright”をプロデュースしているのはファレルなのだが、これもダークサイド仕事の系譜といえるようなものであった。
最後に「Bush」に対して言及しておかなければいけないことがあるとすれば、概してベースラインが素敵であるということだ。それとついでに、「Bush」を聴いてハービー・ハンコックの「Feets, Don’t Fail Me Now」を思い出したことを言っておきたい。ハービーがボコーダーを使用してボーカルを取ったアルバムである。このアルバムの“Trust Me”は聴きもので、キリンジ兄またはリオン・ウェアのような哀感と色気に満ちたコード進行に、ロボット声が愛を語らうという珍事が繰り広げられているが、そこには謎の感動がある。さすがにスヌープはここまであからさまにはボコーダーを使用してはいないのだが。
ところで、タイラー・ザ・クリエイターがネプチューンズ及びN.E.R.D.のことを敬愛しているということは既にご存知の方も多いとは思われるが、4月に発売された彼の新しいアルバム「Cherry Bomb」ではそのことが素直に表れていてとてもよかった。

タイラーの繊細で垢抜けたコード趣味の魅力が存分に発揮された最高の曲。
このPVの流れとは異なり、アルバムでは”Fucking Young”に続くのは”Perfect”という曲で、曲名も”Fucking Young/Perfect”となっている。後半部の”Perfect”で歌声を披露しているのは、カリ・ウチスという人物だ。彼女が今年の2月にリリースしたEPではタイラーが2曲をプロデュースをしている。また、ほかの曲ではタイラーとも縁のあるBADBADNOTGOODがプロデュースを手掛けている。なぜ今これを紹介したかというと、このEPが特設サイト「Por Vida: Free DL — Kali Uchis」よりフリー・ダウンロードできるからだ。オススメ。
タイラーの音楽の趣味を知るには、以前彼がDJ Stank Daddy名義でインターネットにアップロードしたミックステープを聴くのが良いだろう。
Summer Camp Mix 2011
Summer Camp Mix 2012
そして、タイラーが敬愛してやまないN.E.R.D.の5年ぶりシングルがこちら。スポンジ・ボブの映画のために書かれた曲だそうだ。チャド&ファレルは平成のリーバー&ストーラーである!といった趣の楽しくてトロピカルなコミック・ソング。

いやはや下半期も楽しみだ。

 

ヒップホップがハネだしたのはいつからなのか問題(DJ Jazzy Jeff & Mickのミックステープ"Summertime5"を聴いて)

ツクツクボウシの鳴き声を聞いて「夏ももう終わりか」などと思わせぶりな顔をして呟く隙もなく、夏は秋によって彼方へと押しやられてしまったが、相変わらずDJ Jazzy Jeff & Mickによるミックステープ“Summertime”を聴いている。
このミックステープに収められた90年代のヒップホップおよびR&Bのヒット曲のリズムが不思議と体によく馴染んで心地良い。
最新版の”Summertime 5″ではニュー・ジャック・スウィング(以下:NJS)と呼ばれるジャンルの曲が多く取り上げられている。具体的には以下のような曲だ。Wreckx-N-Effect “Rump Shaker (Radio Mix)”Guy “Groove Me”Bobby Brown “My Prerogative”SWV “Right Here/Human Nature”Bell Biv Devoe “Do Me!” “Poison”
NJSは80年代後半に大流行したブラックミュージックのいちジャンルで、2014年現在においてはエイティーズという時代に咲いた徒花という扱いを受けている。肩パッドの入ったジャケットや、スラムダンクのゴリのような髪型、スパッツ、派手な打ち込みドラムにシンセといったトゥーマッチなイメージに鑑みても、さもありなんと思う。
そんなNJSにおけるリズムの特徴は、その名が示すように、リズムがスウィングしているところにある。NJSのリズムは16分の3連符(というより6連符×4拍?)によって構成されており、一般的なジャズのスウィングに比べると、その間隔は細かい。NJSの生みの親であるテディ・ライリーはドラムマシンを用いて1小節を24分割するクオンタイズをかけて細かいハネを機械的に編み出したそうだ。最近そんな事を物の本を読んで知った。
“Summertime”をなんとなく聴いているときに、NJSに限らず多くの曲がハネていることに気づいた。これは主にドラムのキックについてのことで、90年代のヒップホップ及びR&Bはハネたキックがベーシックなものであるということを改めて認識した。
NJSは当時台頭しつつあったヒップホップから影響を受けて作られたということなのだが、その頃のヒップホップってハネてなくないか?と疑問に思った。ランDMC、LL・クール・J、ビースティー・ボーイズなどに対してはロック寄りのいわゆる縦ノリのイメージがある。これを思い込みで済ますわけにはいかないので、NJSの当たり年である1988年を基準に、いつからキックがハネるようになったか、itunes内の音源を年代順に並べ替えて検証してみた。(※ハネたリズムに関してはワシントンDCで流行していたGO GOからの影響が強いということを後から知りました)

“I Know You Got Soul” Eric B. & Rakim (1987)

これはハネているといっていいでしょう。イントロから聴こえるドラムの元ネタはFunkadelicの“You’ll Like It Too”(1981)。

もう一つの元ネタは、JBの相棒、“Sex Machine” (1970)で「ゲロンノッ」と合いの手を入れていることでお馴染み、ボビー・バードの同名異曲、というより「本歌取り」の本歌のほうである“I Know You Got Soul”(1971)。ドラマーはジャボ・スタークス。ジャボは基本的にハイハットがそこはかとなくハネていることが多い。ちなみに定番ブレイクの“Funky Drummer” (1970)で叩いているのはクライド・スタブルフィールド。
これらのネタがそれぞれ左右チャンネルで同時に鳴ってて、しかもセンターに808か何かのキックが足されているというとんでもないミックス。
ラキムはジャズのサックスソロを参考にオフビートといわれるフローを開発したらしいのだが、スウィングとの関連性は如何に。

“South Bronx” Boogie Down Productions (1987)


これはイーブンの16といった感じ。フックの”South Bronx South South Bronx”という部分では”Funky Drummer”が下敷きになっている。上ネタは”Get Up, Get Into It, Get Involved”。その他の部分の元ネタはHarlem Underground Bandの“Smokin Cheeba-Cheeba” (1976)だそうです。
KRS-ONEのラップはドラムのキックとスネアに合わせてアクセントが置かれている。いわゆるオンビートと呼ばれるリズムへのアプローチ。

“Ain’t No Half Steppin'” Big Daddy Kane (1988)

https://www.youtube.com/watch?v=2l2O-JOXG_I
これはハネているといっていいでしょう。元ネタはStax/Volt所属で、後にディスコヒットを飛ばすThe Emotionsによる“Blind Alley”(1972)。元ネタのドラムは癖で自然にハネちゃいましたといった趣がある。アル・ジャクソン・Jrの系譜に置くことができそうな味わいで聞かせるビートの世界観。
ちなみにテディ・ライリーも同じネタを使ってWreckx-N-Effectの”Rump Shaker (Radio Mix)” (1992)という曲をプロデュースしている。”Rump Shaker”のビートの手触りにはDAの”Let yourself go, Let myself go” (1999)を思い出さずにはいられない。
先にも述べたが”Rump Shaker (Radio Mix)” は”Summertime 5″で取り上げられている。テディ・ライリーはこの曲の二番でラップを披露しているのだが、このヴァースを書いたのは若き日のファレル・ウィリアムスで、彼はその頃ライリーの下で丁稚をしていたというのは有名な話だ。同じく”Summertime 5″で取り上げられたライリーのプロデュース作であるところのSWV “Right Here/Human Nature”(1992)にはファレルの”S,double,U,V!”という掛け声が収められている。
ちなみに”Summertime 5″ではファレル関連作のSnoop Dogg “Beautiful” (2003)とJay Z “So Ambitious” (2009)が使われている。
“Ain’t No Half Steppin'”では優しいタッチのフレーズのループに、ESGの”UFO”の不穏なSEが重ねられているが、これが遠くから聞こえてくる街路の雑踏だったり、聴衆の歓声を思わせるから不思議なものだ。この曲のプロデューサーはマーリー・マールで、サンプリング主体でのトラック作りを最初に確立したのはこの人とのこと。

“Nobody Beats the Biz” Biz Markie(1988)


この曲も1988年かつマーリー・マール制作。Biz Markieは”Summertime 5″で前口上を担当している。
イントロの切り貼りされたループがこれぞヒップホップだと思わせる。ドラムの元ネタはLafayette Afro Rock Bandの”Hihache” (1974)という曲。この曲でも808か何かのキックとハットの音が足されている。足されたキックによってハネが強調されているような気がする。クオンタイズされていないヨレたビートの感覚がこの時代のヒップホップの味ではないか。
というわけで、マーリー・マールという人物に改めて注目しなくてはいけない。マーリー・マールの最初期の仕事を調べるとMCシャンの”The Bridge”(1987)にぶち当たった。かの有名な「ブリッジバトル」の引き金となった曲である。 MCシャンのCDを持っていなかったため、ひとまずYouTubeで聴いてみた。

MC Shan “The Bridge”(1987)


まさにこれこそが「原典」だ。
元ネタはThe Honey Drippersの“Impeach the President”(1973)という曲で、これが大大大の定番ブレイクで超有名とのことである。ヒップホップの元ネタサイトWhosampledにはなんと539曲も登録されていた。いやはやモグリもいいところで、甚だ汗顔の至りである。
“The Brigde”が発売された1987年は自分が誕生した年なので、なんだか縁のようなものを感じてしまう。だから90年代のヒップホップ及びR&Bのリズムがしっくりくるんだな、とこの際だからこじつけてしまおう。NJSを子守唄に育ちました、ということはないだろうが、なんか昔のSMAPの曲とかNJSっぽいなにかしらの刷り込みはあるはず。
ところで、初めて買ったアルバムは宇多田ヒカルの「First Love」だ。860万分の1枚は今でも我がCD棚にひっそりと置かれている。そんな売れに売れたアルバムの1曲目であり、宇多田ヒカルのデビュー曲でもあり、テレビ番組「笑う犬の生活」のエンディングテーマとしても忘れがたい”Automatic” (1999)のトラックを聴くと、キックがハネており、しかもNJSよろしく1小節を24分割したグリッド上に音符が配置されている。ハットが16分の6連で鳴っていたりして、聴いていてハッとする。
宇多田ヒカルが出てきたときは和製R&B云々という風に喧伝されていたけど、実際はポストNJS歌謡というべきものだったんじゃないか。コード進行あるし、ループ感もないし。
“Automatic”のリズムトラックの元ネタは、2Pacの“Me Against The World”(1995)であると確信を抱いていたのだが、よく聴けば”Me Against The World”のビートは”Impeach the President”の弾き直しである。その普及の仕方に驚かずにはいられない。まさに不朽のブレイクである。
“Me Against The World”の元ネタはIsaac Hayesの“Walk on By”とMinnie Ripertonの“Inside My Love”。”Inside My Love”はATCQの“Lyrics to Go”でお馴染みの定番ネタ。エレピを弾いているのはジョー・サンプル。”Me Against The World”はもっと素直な使い方でメロー度高し。
ちなみに、”Me Against The World”のプロデュースをしているのはSoulshock & Karlinという人たちで、彼らのプロデュース作にMonicaの“Before You Walk Out of My Life”(1995)という曲がある。これがめちゃくちゃ良い曲で、琴線をくすぐられすぎておかしくなってしまいそうなほどである。和製R&Bと呼ばれていたような曲の「分母」という感じがする。歌っているMonicaは当時15歳。ダラス・オースティンがプロデュースしたデビューシングル“Don’t Take It Personal (Just One Of Dem Days)” (1995)が大ヒットしていた。
日本において「First Love」が空前絶後のヒットを記録していた頃、海の向こうアメリカでは、ティンバランド以降の新奇なビートが流行していた。”Summertime”を聴きまくった耳で、ティンバランド製のトラックを聴くと相当不思議(SF)な体験が得ることができるのでお試しあれ。アメリカ人の琴線は一体どうなっているんだと思う。たとえばJAY-Zの“Big Pimpin’ ft. UGK” (2000)など。
ところで、去年出たジャスティン・ティンバーレイクのシングルはウェルメイドなポップスといった風格ですこぶる良かったです。デヴィッド・フィンチャーが監督したPVもさすがはアメリカ芸能界という風格があった。ああいうものころっとやられてしまう体質なのだ。
※90年代ヒップホップに息づくジャズのスイングする感覚を実演でもって説明してくれる親切な動画を見つけたので紹介します。Rob Brown – Evolution of the Hip Hop Groove

 

Louie Louieの勉強「ルイ・ルイ・シー・クルーズ」

ジャズ評論家・油井正一氏の「ジャズはラテンの一種である」という言葉を聞いて、細野晴臣氏は「ロックもラテンのなれの果て」ではないかと思ったそうだ。そんな説を裏付ける例の一つとしてロック史に灼然と輝くクラシック中のクラシック”Louie Louie”がどうにもぴったしくるから嬉しいではないか。皆さんも”Louie Louie”を巡る航海へ出てみませんか!(「地平線の階段」調)

“Louie Louie”といえばThe Kingsmen、The Kingsmenといえば”Louie Louie”と言っても過言ではない。”Louie Louie”は63年発表のシングルで、64年1月には2週に渡りキャッシュボックスのシングルチャート1位を獲得。ちなみに翌週の1位はビートルズの「抱きしめたい」だ。
お馴染み「タタタ・タタ/タタタ・タタ(I-IV/Vm-IV)」というリフのリズムパターンはギターとベース及びエレピが担っている。
さて、このThe Kingsmenのバージョンは「原曲」ではなく、Rockin’ Robin Roberts & The Wailersによるカバーバージョンをお手本にしたそうだ。

こちらは61年のシングル。発売から1年後の1962年、The Kingsmenの面々がライブのためにクラブに集まっていたところ、この曲がジュークボックスから何度も何度も流れていたそうだ。フロア中の若者たちが踊り狂うのを見て、ボーカルのジャック・イーライ氏は「この曲をやれば大ウケ間違いなし」と確信。これがThe Kingsmenが”Louie Louie”を取り上げるまでの経緯である。
Rockin’ Robin Roberts版のアレンジでは「タタタ・タタ/タタタ・タタ」というパターンは主にギターとサックスによって演奏されている。
ボーカルを担当するRockin’ Robin Robertsは高校生の頃にR&Bに狂い、黒人居住区でレコードを買うようになったとのこと。芸名は、Bobby Dayのヒット曲“Rockin Robin”(58年)から頂いたそうだ。その歌唱にはやけっぱちな黒さが感じられる。それは「イェイェイェイェ〜!」の部分やギターソロ前の半ばヤケクソな「Let’s give it to ‘em, RIGHT NOW!!」というシャウトなどに顕著に表れている。
バックをつとめるのはガレージ・ロックの始祖の一つであるThe Wailersで、59年に”Tall Cool One”というインスト曲でローカルヒットを放っている。
さて、Rockin’ Robin Robertsが聴いたオリジナルとはどういったものだったか。

57年のシングル。ベリーの歌唱はロバーツと比べるとさほど荒々しくはないが、甘く危険な香りが漂っている。発声に含ませた吐息には色気がある。だ”Louie Louie”という歌は船乗りの欲求不満を歌ったものであるからして色っぽく歌われてしかるべきだ。
ベリーは元々Flairsというドゥーワップグループの一員であった。Flairsは53年に“She Wants To Rock”というシングルを録音しているが、実はそのときのプロデューサーがリーバー/ストーラーであった。後のThe Coastersとして知られるThe Robinsの“Riot In Cell Block #9” のために低音ボイスのボーカルを探していた彼らの依頼で、ベリーはノンクレジットでリード・ボーカルを担当している。
オリジナル版”Louie Louie”のサウンドのメインはやはりコーラスで、Aメロは低音と高音が互いに合いの手を入れるというアレンジとなっている。楽器隊も各パートが抜き差しの妙で組み立てていくアレンジは非常に洗練されていると思う。こういった音の組み立て方をファンク的というのは言いすぎだろうか。
この曲でドラマーが叩いているのはストレートなエイトビートないしバックビートであるが、その始祖はアール・パーマーと言われている。50年代のロックンロールやR&Bにはまだスウィングの残り香があり、楽器によってリズムが跳ねていたり跳ねていなかったりする。このハネとタテの感覚が絶妙に混じったリズムを細野晴臣は「おっちゃんのリズム」と名づけている。そこから縦割りのエイトビートに変化していくわけだが、そのビートが使用されたレコーディング第一号はLITTLE RICHARDの“Lucille”であるというのがもっぱらの定説となっている。奇しくもベリー版と同年の57年である。
さて、例の「タタタ・タタ/タタタ・タタ」というリズムパターンであるが、原曲では低音コーラスが担当している。 Rockin’ Robin Robertsたちがこのリズムパターンを中心に据えてカバーバージョンを作ったということは、それだけこの低音ボイスのリズムパターンが強烈だったのだろう。そして、その印象に残るリズムパターンにもやはり親がいるのであった。

こちらはキューバ出身のピアニストRene Touzetがリーダーを務める楽団による演奏。57年のシングル。タイトルについているチャチャは50年代に流行したキューバ音楽の一つのスタイルだ。
50年代といえばマンボというこれまたキューバ生まれの音楽が一世を風靡した時代でもある。その筆頭格は「マンボの王様」ことペレス・プラードだ。その人気は日本にも伝播し、ご存知「お祭りマンボ」が美空ひばりによって歌われた。一方そのころ、キューバ国内で盛り上がっていたのはチャチャチャであった。迫力に満ちたホーンとパーカッションの応酬が目立つ熱っぽいマンボに対して、チャチャチャは優雅でスウィートな味わいのあるサウンドと軽妙なリズムが特徴である。
チャチャチャの第一人者はヴァイオリン奏者のエンリケ・ホリンという人物で、その代表曲であるところの「チャ・チャ・チャは素晴らしい(MILAGROS DEL CHACHACHA)」は世界中でヒットを記録した。日本でも雪村いづみ江利ちえみによって日本語でカバーされている。
チャチャチャは通常、バイオリン3~5にフルート、ピアノ、ベース、リズム・セクションという伝統的なチャランガという編成で演奏される。チャランガの編成でホリンに習いチャチャチャを取り上げたオルケスタ・アラゴンはキューバで大人気となり、長くその人気を不動のものとした。彼らの代表曲である”El bodeguero”はNat King Coleによって歌われている。
アメリカにおいてチャチャチャはポップソングの題材として取り上げられるほどの人気ぶりであった。59年のサム・クックのヒット曲“Everybody loves to Cha Cha Cha”だ。この曲で2本のギターが刻んでいるリズムはハバネラである。前述の「チャ・チャ・チャは素晴らしい」でもベースがハバネラを刻んでいる。
ハバネラは1800年頃フランス人によってカリブ海に持ち込まれたヨーロッパのカントリー・ダンスに黒人風のリズム感覚が加わって生まれたリズムで、4分の2拍子で演奏される「タタンタ・タンタン」「ターンタ・タンタン」というリズムが一般的なものだ。
世界で最も有名なハバネラは、ビゼーによるオペラ「カルメン」の中で歌われる、その名もずばりの「ハバネラ」であろう。ビゼーの「ハバネラ」にも下敷きになった曲があり、それはスペインの作曲家セバスティアン・イラディエルによる“El Arreglito”だ。イラディエルはキューバに住んでおり、そのときに大いにハバネラに魅せられ、帰国後、”El Arreglito”を作曲する。その後、世界中で演奏されることになる”La Paloma”を出版する。
ハバネラはアメリカン・ポップスの中でも頻繁に使われるリズム・パターンである。「ドン・ドドン・パン/ドン・ドドン・パン」のイントロでお馴染み、The Ronettesの“Be my baby”もハバネロの一種と見なすことはできないか。しかしこれをブラジル生まれのリズム、バイヨンだと言う人がいる。かのバート・バカラック御大だ。
先日読んだバカラックの自伝にバイヨンについての言及があった。これがなんとも素敵だったので少し紹介したい。バカラックがマレーネ・ディートリッヒのピアニストとして南米にツアーで出かけているときの話。リオデジャネイロに滞在中、ディートリッヒとバカラックは夜の丘を散歩していた。バカラックは街の方から聞こえてくるドラム・ビートに耳を傾けた。その時初めてバイヨンのリズムを耳にしたらしい。なんてロマンティックな情景だろう。続けてバカラックはポップスにおけるバイヨンの使用例を挙げている。そこでは”Be my baby”とともにThe Driftersの“There goes my baby”が挙げられている。バカラック自身もChuck Jacksonの“Any Day Now”で使ったそうだ。
それがハバネラかバイヨンかという問題はここでは保留したい。キューバのハバネラとブラジルのバイヨンがアメリカにおいて現地のフィーリングが薄れていくうちに何となく混じりあったと考えておくにとどめておきたい。
補足としてバイヨンが使用された曲を挙げておくと1953年日本公開のシルヴァーナ・マンガーノ主演のイタリア映画「アンナ」の主題歌である“Anna”や、イタリア映画の「高校三年」で取り上げられた“Delicado”あたりが有名だそうだ。ちなみに”Anna”は日本語でもカバーされており、歌ったのはここでも登場の江利ちえみだ。
バイヨンを使用した60sポップスで個人的に好きなのはRuby And The Romanticsの63年のヒット曲”Our Day Will Come”。エイミー・ワインハウスのカバーでご存知の方も多いかもしれない。”Our Day Will Come”はブラジル音楽的なアレンジが施されている。63年頃は曲名に”Bossa Nova”が入ったヒット曲が見受けられる。クインシーの”Soul Bossa Nova”(1962)や、マン/ウェイルのペンによるEydie Gorméの”BLAME IT ON THE BOSSA NOVA”(1963)、リーバー/ストーラーのペンによるエルヴィスの”Bossa Nova Baby”(1963)など。”Bossa Nova Baby”に関していえばオリジナルである62年のTippie & The Cloversのバージョンのほうがブラジル風味ではある。これらは今日我々がイメージするボサノヴァとは異なるものだが、彼らが元ネタにしたブラジル音楽は一体なんであったのだろう。ちなみにその内容に賛否はあるもののアメリカでのボサノヴァ人気を決定付けた『ゲッツ/ジルベルト』も63年のリリース。また、ボサノヴァという音楽を世界に広めたとも言われる映画「黒いオルフェ」は1959年公開の作品。テーマ曲の”Manhã De Carnaval”は多くのミュージシャンにカバーされ、スタンダードとなっている。
さて、話を”Louie Louie”に戻そう。当時、ベリーはチカーノ系のR&B・ラテンバンドRick Rillera and The Rhythm Rockersに参加していたようで、”El Loco Cha Cha”は彼らのレパートリーであった。
例の「タタタ・タタ/タタタ・タタ」というパターンは”El Loco Cha Cha”においてはピアノとベースが担っている。このパターンはいわゆるクラーベから付点が取れたものではないかと踏んでいる。クラーベを直線的なリズムにアレンジしたものではないか、と思うのだがどうだろう。
ベリーが”Louie Louie”を書くにあたり参考した曲には、”El Loco Cha Cha”の他にChuck Berryのエキゾチック偽ラテン曲“Havana Moon”があったそうだ。歌はだいたい”Havana Moon”の平歌が下敷きになっていると言っていいだろう。また歌詞においてはジョニー・マーサー作詞による“One for My Baby (and One More for the Road)”から着想を得たそうだ。
ここでThe Rhythm Rockersについてのこぼれ話を。当時、The Rhythm Rockersの周辺には後のThe Righteous Brothersとなる二人がいたそうだ。彼らの最初のシングル“Little Latin Lupe Lu”の録音にはThe Rhythm Rockersの中心人物であるRickとBarryのRillera兄弟も参加している。そして、この曲がThe Kingsmenによってカバーされるのだから面白い。
キューバから運ばれた”Louie Louie”の種がアメリカの土壌の養分を吸って成長したのち、Kingsmenによって拡散された後、どのような形に変化していったのか。

ファズ!シャウト!ドタバタドラム!フェードアウトまで何か叫んでいる!欲求不満な感じがひしひしと伝わってきて最高。これまでの”louie louie”にあったノホホンとした所が一切ない。キーも長調から短調になっているが、これはSonics版をお手本にしたため。グランジの始祖ともいえるだろう。ちなみにSonicsは先述のWailersと同様、ワシントン州タコマのバンドで、Kingsmenはオレゴン州ポートランドのバンドでどちらも北西部。シアトルはワシントン州の都市だ。
一方、近い時期にラテンの極に的を絞った先祖帰りバージョンもあったりする

キューバ出身のコンガ奏者、モンゴ・サンタマリアによるカバーバージョンだ。
最後は、”Louie Louie”のカバーではないけれど、おそらく”Louie Louie”を下敷きにしたと思われる曲で締めたいと思う。”Louie Louie”は一人でカリブ海を航海する男が愛する女のもとへ帰る曲だったが、こちらは反対に、運命の女の子を探しに旅立つという歌。「小さい頃、おっかさんが言いました。いいかい、世界にたった一人だけアンタにぴったりの娘がいる。その娘はきっとタヒチに住んでる。行ってみよかな世界中。オイラはゆきます、その娘を見つけに。」という出だしで始まる。

“Louie Louie”は3コードだが、この曲はもっとシンプルに2コード。Wreckless Ericの歌心が如実に表れている。
なんで雨に濡れて泣いてんだろ、世界には女の子が溢れているっていうのに、と泣き言を漏らしたり、南国で暮らす娘の姿を想像して意気込んだり。少年っぽい声のWreckless Ericが力んでしわがれ声を作って歌うからまた泣ける。
取り上げた曲をSpotifyのプレイリストにまとめてみました。