スヌープ・ドッグとファレルの「Bush」と私の2015年上半期

先々月ぐらいから久しぶりに会う人に太ったかと聞かれることが増えた。そのように自覚しているので、その都度太ったと返事をしている。肉付きが良くなったうえに、学生時代に買った服を未だに来ているから、ボディラインが露わになって太ったことがより目立ってしまう。
昨年の暮れに、帰省して毎日暴飲暴食を続けていたら胃が広がってしまったために、こちらに戻ってきてもラーメンやカツカレーなどがどうしても食べたくなってしまい、欲望の赴くままに日々のメニューを決定していたら、お腹まわりに贅肉がつきはじめ、頬もふっくらしてきて、さらに胸も大きくなってきた。それは売れっ子の中堅芸人を思わせるような太り方で、少し色気を感じさせたりすこともあるのだが、それほどに出世していない我が身を思うと、やはり分不相応であるから、過度なカロリー摂取は控えなくてはいけないと考えつつも、いつかこの食欲も収まるだろうという楽観的な気持ちでやりすごし、結局一年の折り返しに差し迫ったこの頃になってようやく腹が落ち着いてた。
今ここで、今年も半分終わってしまうのかという焦りとも諦めともつかない茫漠とした感慨に十年一日のごとく耽ったうえで、2015年の上半期を振り返ってみて思うことは、ヒップホップの新作が充実していたよなあ、ということである。
上半期に発売となったアルバムに、ケンドリック・ラマー「To Pimp A Butterfly」、タイラー・ザ・クリエイター「Cherry Bomb」、エイサップ・ロッキー「AT.LONG.LAST.A$AP」などがある。他にも、ドレイクやアール・スウェットシャツなどの話題作もあるけれどフォローしきれていない。また、この先も、フランク・オーシャンとインターネットの新作リリースがアナウンスされている。これらのラッパーは腰を据えてヒップホップを聴き始めた2012年前後にちょうど活躍していた人たちでとても思い入れがあるから今年は最高の年だなという気持ちで一杯だ。
2012年にヒップホップを積極的に聴くようになったのは、2011年に刊行になった「文化系のためのヒップホップ入門」という本を読んだためで、このことは個人的なヒップホップ史におけるサードウェーブにあたる。サードウェーブ系男子の面目躍如といったいったところである。そんなことはどうでもいいのだが、とにかく「文化系のためのヒップホップ入門」をキッカケとして、ヒップホップを自分史における「広義のアメリカンポップス」という枠の中に位置付けることができために、それまで今ひとつ捉えどころがないように思えたヒップホップに対してピントが合うようになった。というよりむしろ、度の合わないメガネを外してみたら却ってよく見えるようになったと言ったほうが当たっているかもしれない。

スヌープ・ドッグの「Bush」

今年の上半期にリリースされたアルバムの目玉の一つに、スヌープ・ドッグの「Bush」というアルバムがあるのだが、これがなんとも微妙な感触を残すアルバムだった。

@mushitokaが投稿した写真


まずなんといってもジャケットが謎。90年代のマイナーなギターポップバンドのジャケットみたいでヒップホップっぽくないし、どういう美意識があるのかよくわからない。プラケースも一般的な透明なものではなく、アメリカの雑貨を思わせるくすんだブルー一色で、どういうこだわりがあるのかよくわからない。個人的には好きな色ではあるが・・・
ところで、スヌープ・ドッグとファレルのコラボレーションでまず最初に思い出されるものは、なんといっても2004年の大ヒット曲で、日本においてはテレビ東京の深夜番組「アリケン」のテーマ曲としても忘れがたい”Drop It Like It’s Hot”だろう。

まさにクールの一言。この曲や、バスタ・ライムスの“Touch It”やリル・ウェインの“A Milli”といったタイプの簡素の極みといえるトラックがもたらしたインパクトったらない。ビヨンセの“Single Ladies (Put A Ring On It)”はこれらの曲に比べるとテンポも早く、幾分か派手ではあるが近しいインパクトがあった。
「Bush」に対して、スヌープとファレルのコラボレーションの中から前例を求めるのなら、マライア・キャリーの”Say Somethin’ ft. Snoop Dogg “が最も近いと感じている。

“Say Somethin’ ft. Snoop Dogg”でスヌープは節のついたようなラップを披露しているが、「Bush」においては、もはやラップをせずにほとんど歌っている。さらに男女混声コーラスで脇をがっちり固めており、そのことが、ヨーロッパのセレブっぽいハウスを思わせるスムースさのあるトラックと相まって、スヌープとファレルが背景と化しサウンドが先立つという、スヌープとファレルという世紀の二大スターががっつり組んだお祭りのようなアルバムにとっては謎というしかない不思議な現象が起こっている。その点についてもやはり微妙な感触を残すアルバムだ。
コーラスパートの多いアルバムである「Bush」において最も多くバッキング・ボーカルとしてクレジットされているのはギャップ・バンドのチャーリー・ウィルソンで、これまでにもスヌープのアルバムで何度も客演を果たしている。ヒップホップとは縁のある人で、最近では、カニエ・ウェストの“Bound 2”や、タイラー・ザ・クリエイターの“Fucking Young/Perfect”でもその歌声を披露している。ギャップ・バンドといえば、Nasの“Life’s A Bitch”の元ネタ、“Yearning For Your Love”でおなじみといってしまっていいのか自信はないが、とにかく80年代に多くのヒットを飛ばしたファンクバンドだ。
また、チャーリー・ウィルソンとともにバッキングボーカルとしてアルバムに貢献しているのはRhea Dummettという人物で、ファレルの“Happy”で聴くことのできる印象的な“yeah!”の声の主は彼女とのことだ。ファレルの率いるi am otherに所属しており、ツアーにも参加しているそうで、今年のサマソニでも彼女の歌声を聴くことができるかもしれない。
「Bush」の一曲目を飾るのは、先日PVが公開にもなった”California Roll ft. Stevie Wonder, Pharrell Williams “である。カリフォルニアロールといってもアボカドの巻き寿司のことではないことがうかがえる。

この曲などは、早起きした夏の朝に、散歩がてらに向かった喫茶店で流れていたりしたら、もう惚れ惚れとしてしまうのが容易に想像できる。というより、そんな御誂え向きのシチュエーションなど用意する必要もなく、音楽に耳をかたむけるだけで良い気分になるし、ああ、良いわぁと言って、うっとりとすること必至である。
ファレルとスヌープ・ドッグたちはカリフォルニアのウォーム&テンダーな日差しと空気をこの録音物に閉じ込めることに成功している。カリフォルニア州に足を踏み入れたことは生涯のうちに一度もないが、そんな気がする。しかし、そのような空気に触れることは、我らがPTAの最新作である「インヒアレント・ヴァイス」を観ることにより追体験が可能である。
ちなみに私はこの曲を聴いてフランスのAirというイケメンな上に音楽の趣味が非常に良いバンドのことを思い出した。“la femme d’argent”という曲はかつて東京ディズニーランドのトゥモローランドでBGMとして流れていた。”California Roll”のPVに出てくるアトラクションは「スターツアーズ」みたいだ。ついでにMoog Cookbookがカバーしたサウンドガーデンの名曲“Black Hole Sun”のムーグアレンジバージョンが流れていたことも書いておこう。うーむ、スペース・エイジ・バチェラー・パッド感覚。
「Bush」から感じ取れる手練れの技であるゴージャスでスムースな感触、そこはかとなく漂う緊張感とある種のイージーさにある時期のA&Mレコードを連想してしまう。と言ってみたものの、A&Mレコードについて詳しいわけではないし、A&Mつってもスワンプとか色々あるじゃんといった話もあるのだが、今はそのことをさておくとする。
スヌープがラップを控えてボーカルを取った「Bush」というアルバム、あるいはそこに収められた曲は、A&M産の、バカラックが自ら歌声を披露した自作の曲や、ハーブ・アルパートの”This Guy’s In Love With You”、ニック・デカロの「Itarian Graffiti」といったようなものとはいえないか。いえたとしてそれがどうしたという話ではあるが・・・
ボーカルについては置いておくとしても、少なくともゴージャスな面においてはクインシー・ジョーンズがA&Mに残した諸作に共通点を見つけることができるだろう。
「Bush」というアルバムは、かつてのA&Mのレコードがそうであったように、スヌープとファレルというスターのキャラクターが背景化したのちに、現在とは違った角度から評価を受けるのではないかと考えている。むしろ現時点ですでに、「リアルタイム再評価」とでもいうような、いささか倒錯した聴き方になってしまっている。それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。
クインシーといえば、「Bush」のどこかでマイケルの”Wanna Be Startin’ Somethin’ “を引用したようなところがあったような気がしたのだが、忘れてしまった。しかし「Bush」はどちらかというと「Off The Wall」的である。ネプチューンズで飛ばしていたころから、ジャスティン・ティンバーレイクとの仕事などで「Off The Wall」を思わせるサウンドには取り組んではいたが、それはバグを起こしたようなところがある突飛なものであった。今回の丁寧に作り込まれたトラックは「Off The Wall」のようなスムースさがある。
ここ数年、若手ラッパーのアルバムでプロデューサーとしてクレジットされたファレル・ウィリアムスの名前を見ることがままあった。例えば、手持ちのものから羅列していくと・・・フランク・オーシャンの「channel ORANGE」(2012)では”Sweet Life”、”Golden Girl”の2曲を、ケンドリック・ラマーの「good kid, m.A.A.d. city」(2012)では”good kid”を、ウィズ・カリファの「O.N.I.F.C.」(2012)では”Rise Above”を、アール・スウェットシャツの「Doris」(2013)ではチャド・ヒューゴとともに”Burgundy”を、マック・ミラーの「Watching Movies With The Sound Off 」(2013)では”Objects In The Mirror”をプロデュースしている。これらのトラックの多くは、スローテンポで、サウンド的には今日的なダークな響きがあり、総じて渋めである。一聴してそれがファレルの仕事であると判別するのは難しいところがある。これらをファレルのダークサイド仕事と無責任にいっておこう。ダークサイドといってもサウンドの傾向に限った話で、心理的なことはここではどうでも良い。あくまで仕事であるところがミソだ。
一方、2013年にリリースされたマイリー・サイラスの「Bangerz」に収録されている”#GETITRIGHT”と”4×4″では、その後の「G I R L」で聴くことのできる陽気者サウンドというべきトラックを披露している。
同年、これまでもファレルとのコラボレーションでヒットを飛ばしてきたJay-Zによる「Magna Carta… Holy Grail」では、”Oceans”と”BBC”をプロデュースしている。フランク・オーシャンをフィーチャーした”Oceans”は、アディショナル・プロデューサーとしてティンバランドがクレジットされている。この曲はダークサイド仕事といえるだろうが、一方、ナズをフィーチャーした”BBC”はファレル的な陽気なビートの上に仄暗い色彩のアコピのループがのっかった折衷サウンドといった趣だ。
また、2013年はフランス製のロボット二人組やロビン・シックとの仕事が大ヒットを記録した年でもあった。その後、ファレルがHAPPY街道をまっしぐらであることは皆さんもご存知のところであろうが、個人的にはダークサイド的な裏方仕事が念頭にあったので、表の顔で浮上してきたことがとても意外に思えたのだった。
ところで、今年の大目玉アルバムであるところのケンドリック・ラマーの「To Pimp A Butterfly」に収録された”Alright”をプロデュースしているのはファレルなのだが、これもダークサイド仕事の系譜といえるようなものであった。
最後に「Bush」に対して言及しておかなければいけないことがあるとすれば、概してベースラインが素敵であるということだ。それとついでに、「Bush」を聴いてハービー・ハンコックの「Feets, Don’t Fail Me Now」を思い出したことを言っておきたい。ハービーがボコーダーを使用してボーカルを取ったアルバムである。このアルバムの“Trust Me”は聴きもので、キリンジ兄またはリオン・ウェアのような哀感と色気に満ちたコード進行に、ロボット声が愛を語らうという珍事が繰り広げられているが、そこには謎の感動がある。さすがにスヌープはここまであからさまにはボコーダーを使用してはいないのだが。
ところで、タイラー・ザ・クリエイターがネプチューンズ及びN.E.R.D.のことを敬愛しているということは既にご存知の方も多いとは思われるが、4月に発売された彼の新しいアルバム「Cherry Bomb」ではそのことが素直に表れていてとてもよかった。

タイラーの繊細で垢抜けたコード趣味の魅力が存分に発揮された最高の曲。
このPVの流れとは異なり、アルバムでは”Fucking Young”に続くのは”Perfect”という曲で、曲名も”Fucking Young/Perfect”となっている。後半部の”Perfect”で歌声を披露しているのは、カリ・ウチスという人物だ。彼女が今年の2月にリリースしたEPではタイラーが2曲をプロデュースをしている。また、ほかの曲ではタイラーとも縁のあるBADBADNOTGOODがプロデュースを手掛けている。なぜ今これを紹介したかというと、このEPが特設サイト「Por Vida: Free DL — Kali Uchis」よりフリー・ダウンロードできるからだ。オススメ。
タイラーの音楽の趣味を知るには、以前彼がDJ Stank Daddy名義でインターネットにアップロードしたミックステープを聴くのが良いだろう。
Summer Camp Mix 2011
Summer Camp Mix 2012
そして、タイラーが敬愛してやまないN.E.R.D.の5年ぶりシングルがこちら。スポンジ・ボブの映画のために書かれた曲だそうだ。チャド&ファレルは平成のリーバー&ストーラーである!といった趣の楽しくてトロピカルなコミック・ソング。

いやはや下半期も楽しみだ。

 

インタビュー考

発売されたばかりのエイサップ・ロッキーの新作を買うために新宿のタワーレコードに寄ったときに、スヌープ・ドッグが表紙のバウンスが気になったので一冊もらってカバンにつめこんで、帰宅してPCを起動させている間にバウンスを手にとりページを数枚めくるとミツメの写真が現れたので、あ、ミツメだ、と思って、中身を読んでみることにした。
それは新しいシングル「めまい」の宣伝のページで、主にミツメへのインタビューで記事が構成されている。そこでミツメの面々は、曲作りのこと、アレンジのこと、演奏のこと、レコーディングのことなどについて答えており、それを読んで、すごくいいなあと思い、そして、とても羨ましくなってしまった。
誰もそのようなことを質問してこないということは、まあ、そういうことなんだろうと察して、もっぱら暖簾に腕を押して鉄の拳を作る日々なのだが、未練がましくも断ち切れない思いがあり、誰に訊ねられたわけでもないのに自ら語ろうとしてみても、その瞬間、気持ちが萎えてしまう。それは、そうした話題を取り上げるときに独白という形式を取ってみても大しておもしろくはならないだろうという予感があるからだ。そのような話題を口にする場合はやはり対話であるインタビューのほうが適しているだろう。
インタビューは本来的に、二人以上の人間がそれぞれの手に持った箸で、ひとつの里芋の煮物を共に持ち上げようとする行為に近いところがある。そして、その行為によって生じる、里芋の描く思いがけない軌道だとか、里芋を介して伝播する各々の力加減だとか、その里芋の行く末だとか、そういった類のものを契機として得られる興奮こそが、迂回を経ようとも却って里芋に生気を与えるのである。食べ物で遊ぶなという話もあるそうだが。
かねてからそれはありふれたものであったが、インターネットの発達によってさらに目についてしまうインタビュー記事の夥しさに鑑みて、インタビューというものは経済的に優れているのだろうなあと考えざるを得ない。それがインタビューと呼ばれるものであれば、内容如何を問わず、何かを読んだ気になれるし、「へえ、なるほど。おもしろい」と口にすることもできるだろう。そして、それが人に対して何かを考えさせるような、何か意見を言わなくてはいけないような雰囲気を醸し出すものであれば尚経済的である。
経済的であることを優先するのならば、里芋で遊ぶなんてことは不経済であると言わざるを得ない。この相反する二つのものを同時に処理するにはどうしたらいいのか。そんなことを考える筋合いはないし、その必要もないからここでは考えないことにする。
結局、今やらなければいけないことは暖簾に腕を押して鉄の拳を作ることにつきるのだが、もし万が一仮に、親切な人が目の前に現れて、何か楽しい質問してきたとしても、例によって何も答えられないと思う。そしてそれは仕方がないことであるとも思う。
だいたい昔から「HEY!HEY!HEY!」とか「うたばん」のようなトーク中心の歌番組が好きじゃなかったし、ミュージシャンという職業がこの世に存在することを認識したのは、小学校高学年の頃に、宇多田ヒカル、椎名林檎、ドラゴン・アッシュといったテレビでおどけた姿を見せることのない神秘的な人たちが登場してからのことである。そういう刷り込みが未だにあるから、言わぬが花というか、沈黙は金というふうにどうしても考えてしまう。問わず語りは野暮の極み乙女。こんなブログは即刻消去して、インターネットから撤退するのが吉だ。