『FIRE』、この100枚

誰に頼まれたわけでもないが、トリプルファイヤーの新しいアルバム『FIRE』に因んで選んだ100のアルバム。

トリプルファイヤー『FIRE』発売記念ワンマン “アルティメット パーティー 4”

会場
LIQUIDROOM
日程
11/16 Thu.
開場 / 開演
18:30 / 19:30
前売 / 当日
¥2800(税込・ドリンクチャージ別) / –
チケット
チケットぴあ / ローソンチケット / e+
問い合わせ
LIQUIDROOM 03(5464)0800
http://www.dum-dum.tv/

エピタフ、この100枚

 

ベース好き

実にどうでもいいことだがベースが好きだ。ギターよりも好きかもしれない。
18才頃まで楽器の上手い下手というのは難しいフレーズが弾けるかどうかで決まるものだと考える節があった。例えばルート弾きだったら下手くそ、ルイズルイズ加部よろしく弾きまくってたら上手、というように。ずっと音楽を「縦方向」に聴いていたためだ。
大学生になって軽音サークルに所属し、色んな人の演奏を目にする機会が増えた。例えば同じルート弾きをしていても弾く人によって、ベタッとしていて退屈に感じられたり、活きが良くて思わず動きたくなったりすることに気がついた。音楽は横に伸び縮みすることを知った。
はっぴいえんどの「はいからはくち」を初めて聴いたとき、ベースに対して何なんだ?と思った。Aメロ部のベースは1フレーズごとにシンコペーションの位置が変わる。聴いていてとても可笑しく感じた。
件のベースを弾いているのを誰かと申せば、細野晴臣御大であり、昔ローソンのCMで森高千里の旦那役を演じていたあのオジサンだ。当時、件のCMを観る度にこのオジサン何なの?と思っていた。そうしたら母がこの人すごい人なんだよと教えてくれた。その凄さを知ったのはそれから10年後のことだ。
細野晴臣のベースで好きなのは「花いちもんめ」「風来坊」「薔薇と野獣」「泰安洋行」「体操」「流星都市」「びんぼう」「生まれた街で」「返事はいらない」「Exotica Lullaby」「楽しい夜更かし」あたり。『公的抑圧』の「東風」における間奏には毎回ハッとさせられる。「LOVE SPACE」や「都会」の洒脱なベースにはどこか危ういところがあるが、それがとぼけた味わいになるんだからやはり名人だと思う。
ベーシスト細野晴臣のファンになったことで、音楽の聴き方が変わり好きな自ずとベーシストも増えた。需要がないことはわかっていますが、好きなベーシストを発表させてください。

トミー・コグビル Tommy Cogbill

メンフィスのアメリカン・サウンド・スタジオのお抱えバンド=メンフィスボーイズの一員として多くの名演を残したコグビル氏。アメリカ南部のボトムを支えたベーシスト三英傑の一人。(残る二人は言わずもがなドナルド・ダック・ダンとデヴィッド・フッド)
アレサのマッスル・ショールズがらみのアルバムを聴いてまずベースに反応した。ベースを弾いているのはデヴィッド・フッドかと思えばさにあらず。どっこい当時まだ腕に自信のなかったフッド氏に代わってメンフィスから呼び出されたコグビル氏であった。
コグビル氏のベースは恰幅が良い。キング・カーティスの“Memphis Soul Stew”をジェリー・ジェモットの弾くフィルモア・ウェスト版と比べると、ジェモット氏の方は小回りが利く印象を受け、一方、コグビル氏はどっしり構えていて四輪駆動の車のようだ。そこで、トミー”ミスタータンクローリー”コグビル氏のどでかいベースラインベスト3。
“Funky Broadway” Wilson pickett
“Wearin’ That Loved On Look” Elvis Presley
“Chain Of Fools” Aretha Franklin 

チャック・レイニー Chuck Rainy

弦はゴム製のものを使っているのか?と思うほどのものすごい躍動感に、音にも運動エネルギーってあるんだなあとしみじみ思う。16分音符で敷き詰めたベースラインは体育館に大量のスーパーボールを天井から落としたようなもの。ゴムっぽいといえば、ザ・バンドのリック・ダンコのベースにはとてもラバー感がある。彼らのような素敵なベーシストは空間が伸縮する様を音で描くことができる。
ベーシストが苦心することの一つにキックのアタックといかにしてタイミングを合わせるかということが挙げられると思うが、レイニー氏はそれのとても良いお手本になるだろう。盟友バーナード・パーディーとのコンビによる“Rock Steady”なんかはバスドラとベースが一つの音の塊のように聴こえる。レコーディングの技術もあるのだろうが。
レイニー氏の演奏でお気に入りは、アレサの歌ったバカラック/デヴィッドのペンによるゴージャスな“April Fools”での演奏。リズムアレンジの下敷きはおそらく“Tighten Up (Part.2)”の特にフェードアウトする部分ではないかと思う。いや違う、インプレッションズの“We’re a Winner”のNY流16ビート的解釈ではないか。それにしても素晴らしい演奏。
基本的にはダンディな物腰のレイニー氏だが、興が乗れば「いつもより余計回しています」ということもある。そんなわけでハイテンションのレイニー氏ベスト3。
“Cold Sweat” Phil Upchurch
“Proud Mary” The Voices Of East Harlem
“Get Back” Shurley Scott & The Soul Saxes

アール・ロドニー Earl Rodney

マイティ・スパロウのアルバム「Hot And Sparrow」でベースを弾いている人。本業はスティール・パン奏者で、またアレンジもこなす。マイティ・スパロウやロード・キチナーといったカリプソ歌手のバックバンドで監督役を務めていたそうだ。
ロドニー氏は縦と横のバランスが取れたベースラインを弾く。そういった意味でジェイムズ・ジェマーソン、ポール・マッカートニー、細野晴臣のようなタイプ。理想的なベーシストである。
Friends & Countrymenというスチールドラムアフロファンクといった趣のDopeなリーダー作もある。
“Sparrow Dead” Mighty Sparrow
“Strife in the Village” Earl Rodney

ティナ・ウェイマス Tina Weymouth

概ね「トーキング・ヘッズのかわいこちゃん」みたいな扱いだが、この人ほど丹念にベースを弾く人はいないんじゃないかと思う。YouTubeかなんかでちょろっと「ストップ・メイキング・センス」観て黒人のグルーヴが云々という知ったような口を利く輩はまず彼女の音価と休符を完コピして出なおして来いと言いたい。おまえは音価のコントロールで愛嬌を表現することができるのかと問いたい。トム・トム・クラブは永遠です。
“Wordy Rappinghood” Tom Tom Club
“Psycho Killer” Talking Heads
“Take Me To The River” Talking Heads

 

歌う俳優たち/1958年から1964年のヒットチャート

歌う俳優たち(2013年5月10日)

映画の中で俳優が歌を歌うシーンをプレイリストにまとめみた。

これらのシーンをコレクションすることは、ちょっとしたライフワークになっている。映画を見ていて俳優が歌うシーンが出てくる度に検索してはこのプレイリストに追加している。

ミュージカル映画や音楽がメインテーマになっている映画や、劇中で歌われている曲がその映画のための書き下ろしのものは除外している。

普段よく観る映画が2000年以降のものなので、そういった趣向のプレイリストになっている。

お気に入りはエマ・ストーンがエディ・フロイドの「ノック・オン・ウッド」を歌う場面。 同じくマーチングバンド部を従えてヒース・レジャーが歌う「君の瞳に恋してる」も最高。

今後も少しずつ更新していく予定。

1958年から1964年のヒットチャート(2012年1月4日)

一般的にポップスの黄金期とされる1958年から1964年までのアメリカの年間シングルヒットチャートをYouTubeのプレイリストにまとめた。せっかく作ったので、他の人にもどんどん活用して頂きたいと思い公開することにした。

ポップスが聴きたいという欲求が高まったのが一昨年の年末あたり。曲そのものを知っているものは数が限られているので、この時代にはこんな歌手やグループがいて、この作家が曲を書いていて、プロデューサーにはこの人がいて、スタジオミュージシャンには誰々がいて、みたいなことをチマチマ調べながらCDを買ったりしていたのだけれど、もっと気軽に聴く手段は何かないかと考えていた。

ひとまず「曲そのもの」を聴かないことには何も始まらないだろうと思いYouTubeを活用してみることにした。その際に、ヒットチャートというものを「入り口」とした。

モータウンならモータウン、ビーチボーイズならビーチボーイズ、フィルスペクターならフィルスペクターというようにそれぞれ個別に当たっていくよりは、ヒットチャートという一つの場にドゥーワップ、フォーク、カントリー、イージーリスニング、ロックンロール、R&B、ジャズボーカル、コミックソング、インスト等々、様々なものが渾然と並んでいる「何でもござれ」という状況に身を置いたほうが、より楽しく聴けるんじゃないかと考え、別の「入り口」から再入門することにした。

ヒットチャート上の曲を一曲一曲を検索してプレイリストに追加していくのはただの作業でしかなかったが、一度作ってしまえば後はただひたすら聴いていればいいのだから気楽なものである。

これをラジオ代わりにどんどん聴いていこうと思う。

Hits of 1958
Hits of 1959
Hits of 1960
Hits of 1961
Hits of 1962
Hits of 1963
Hits of 1964

※2014/04/21追記

削除されてしまった動画が多く、プレイリストは歯抜けとなっている。

 

Guilty Pleasuresとは

先日、「無人島レコード」を公の場で発表する機会をいただきました。音楽好きの間では定番の質問ではありますが、今まで実際に尋ねられたことは一度しかありません。そのときは単純に好きなアルバムを挙げて終わりました。そのときに挙げたのはハース・マルティネスの「ハース・フロム・アース」とジョー・ママの「ジョー・ママ」の2枚。その質問をした大学の先輩は答えを聞いて「おっさんかよ」といって笑っていました。

今回も捻りの利いた良い答え方など浮かばず、好きなアルバムをわりと真面目に答えました。3年くらい前、暇な時に選定した「心の名盤オールタイムベスト100」の中から「無人島」という前提を加味した上で3枚選びました。

 

無人島 ~俺の10枚~ 【トリプルファイヤー 編】

昔から好きなミュージシャンがどんな音楽を聞いているのか気になるほうなので、こういう企画は大好きです。ただもうちょっと下衆っぽい興味が湧くこともあります。「人にはちょっと言いにくいけどついつい聴いてしまう好きな曲」というのが気になったりもします。そんな企画があればいいのになと考えていたときに、ある外国の言葉を思い出しました。

とあるライブの打ち上げで日本在住のアメリカ人と同席することがありました。20代前半、英会話教室の講師である彼は企画を主催したバンドの友だちとのことでした。

我々のライブを見てくれていた彼は、私に「ナイスだったよ」と声をかけてくれました。どんなギタリストが好きかという話題になり、私はエイモス・ギャレットと答えると彼はその名前を知らないようでした。マリア・マルダーの「真夜中のオアシス」でソロを弾いている人だと言ったら、合点がいったようでメロディーを口ずさみ始めました。お父さんの”Guilty Pleasures Mix”でよく聴いた曲だから知っていると言います。

“Guilty Pleasures”という言葉が気になり彼に説明を求めました。聞けばどうも日本語でいうところの「わかっちゃいるけどやめられない」というような感覚のものでようでした。休日に二度寝三度寝をして昼過ぎまで寝てしまうだとか、夜中にスナック菓子を一袋食べてしまうだとか、1日履いた靴下の臭いをかいでしまうといった、やましさを感じながらもついついやってしまうことを英語で”Guilty Pleasures”というそうです。自分を例に出すと、以前、ブラウザゲームというインターネットブラウザ上で作動するミニゲームで1日を浪費することがありました。長時間プレイしていると脳から気持ちの良くなる汁が分泌されている気がして止まらなくなってしまいます。ドラクエやFFといったゲームをやり込むのと違って話の種にもならないし、恥ずかしいので人に言うことはまずありません。

それに似た感覚でついつい聴いてしまう音楽とは一体。例えばどういうものがあるのか尋ねると、彼はルパート・ホルムズの”Escape (The Pina Colada Song)”という曲を歌ってくれました。しかもワンフレーズごとに日本語訳もついてきます。さすがは英会話講師。

トロピカルなムードの漂うAORです。AORといえば今でこそ「ヨットロック」という間抜けだがどこか愛らしさのある新たな呼び名を得て一部の好事家に愛されていますが、それでも未だに「ダメな音楽」の代名詞として認識している人は多いです。

79年のヒット曲で、ビルボード・チャートで1位を記録。彼のお父さんは、先の「真夜中のオアシス」とともにこういった若い頃に聴いていたヒット曲を”Guilty Pleasures Mix”にまとめてドライブ中に聴いたり一人で熱唱したりしているのでしょう。

それを単に「懐メロ」と呼ぶこともできましょう。しかし「懐メロ」と言ってしまえば、それはもはや居直りでしかありません。”Guilty Pleasures”という言葉に含まれる照れくささや恥じらいの心が大事で、その申し訳無さそうな素振りがなんとも言えない愛らしさを催させます。

自分が好きなものは胸を張って好きと言うべきだという向きもあるでしょう。お仕着せの価値観に囚われず良いと思ったものを素直に良いと言うのが美徳とされています。たしかに好きなもんは好き!と言い切ったほうが細々とした根拠を羅列するよりも遥かに説得力をもつ場合もあります。ただ、大見得を切るのは確信に満ちた人がやるから迫力が出るのであって、自分のような小心者がやましさを押し殺して「好きなもんは好き!」と凄んだところでそれはやはり居直りでしかありません。これではフォーク並びに気づかないふりをして空いたレジに飛び込むオバサンとやっていることは大体同じです。

そういう意味で”Guilty Pleasure”について考えることは自分に対する検討にもなります。やましさとはタブーを犯すときに感じるもので、タブーは自分の外側にあるものとの関係の中に生まれるものですが、それを暗黙の了解せず一度明文化してみることで、自分を規定する枠組がどういうものなのか把握していこうという試みにもなるのです。

自分を取り巻く枠組みを把握することは自分の立ち位置を明らかにすることでもあります。それは他人に対する配慮をもつことと同じです。例えばあなたが誰かと駅前など人の多いところで待ち合わせしていて、人混みのせいで相手の姿を確認できず、携帯電話で「どこにいる?」と尋ねたときに、相手が「ここだよ」としか言わなかったら困りませんか。

所在に対して検討することは見識をもつことでもあります。ただ見識には気位や見栄という意味もあるので疎まれる傾向にもありますが。

さて、くだくだしく能書きを垂れていますが、これが何なのかと言ったら”My Guilty Pleasures Mix”を発表するための前置きでしかありません。結局これがやりたいがため。こんなことに付きあう羽目になった人へ言いたい。本当に申し訳ありません。

というわけで、”Guilty Pleasures Mix”もとい「やましいところがあって人に言うのが憚られるけれど好きな曲リスト」です。早速行ってみましょう。

アメリカのドラマGleeで再会した曲です。同性愛や身体的な障害、妊娠、薬物、肥満といった十代の肩には重すぎる問題に対して、歌と踊りで明るい見通しをつけてくれるのがGleeですな。ザッツ・エンターテイメント!Gleeを前にして「このバカちんが!」と怒鳴ることも愛の授業も必要ありません。

主役級であるところのフィンはアメフト部の花形選手ですが、そんな彼がスクールカーストという枠組みの中でコーラス部に所属して歌ったり踊ったりすることは”Guilty Pleasure”でありましょう。しかし、気持ちのよい歌と踊りには”Guilty”を吹っ飛ばす力があります。

Gleeは今まで遠ざけたり素通りしてきた音楽と再会させてくれたりもしました。まさか産業ロックの筆頭格ジャーニーの“Don’t Stop Believin”に涙する日が来るとは思いもよりませんでした。

「ブリちゃん」の”Toxic”もそんな曲の一つです。Gleeではシュー先生とグリー部の面々が全校集会でこの曲を歌います。あまりのセクシーさにあてられて生徒たちは大興奮。騒ぎを見かねたスー先生は警報のスイッチを叩き一言。「ブリトニー・スピアーズ仕込みのセックス・ライオットだね!」

ハイパースムース!クワイエットストームどころの騒ぎじゃないですよ。エクストリームラグジュアリーですよこれは。スティービーの天才によるこのコードワークは薄暗がりの中で微細な光を明滅させるシルク製のシーツのような耳触りです。マイケルの歌唱も耳で味わうシャンパンといった風格。歌詞に”Angel”と”Heaven”という単語が出てくるのもポイント高し。ああもう一生聴いていたい。自分の葬式でも是非この曲を流してもらいたい。

この悦びをやましく感じるのはラグジュアリー志向という「本音」の部分が顔を出すからでしょう。バブルという産湯に浸かって育ったためか未だ自分のプチブル的感性に折り合いをつけることができないでいます。しかし日本には「ボロは着てても心はクインシー」なんて格言もあります。ご存知でした?

1999年のヒット曲であります。中学生の頃に「夏休みミックス」というのを作りましたが、そこにはもちろんこの曲も入っておりました。この曲ほど夏休みの朝にマッチする曲はないでしょう。他にはインキュバスやレッチリ、311、サブライムなどが入っていたと記憶しております。やっていることが今と変わりません。当時はこういう音楽を生むアメリカ西海岸の風土に憧れたものです。

思春期も中頃に迫ってくると、脳天気で軽佻浮薄な音楽よりも、シリアスで重厚謹厳な音楽を欲するようにもなりましたが、二十歳前後で軽妙洒脱という言葉を覚えてからはまた違った見方もできるようになりました。それは「精神性」よりも「心意気」のほうが自分にとって重要になったということでもあります。

“Every Morning”についてですが、この曲はヤング・ラスカルズの「グルーヴィン」とか、ラヴィン・スプーンフルの「デイドリーム」といったポップスの流れを汲んでいると個人的には思っております。弛緩しきらない程度の脱力加減がたまらなく好きです。何事にもシマリは大事です。

60’sポップスと比べると70’sポップスの評価はガクンと落ちます。アメリカ映画では70年代のポップスはギャグとして使われがちですが、それでもふいに耳にするとグッと来る曲もたくさんあります。カーペンターズの諸作(「遙かなる影」はマイ・オールタイム・ベスト・トラック!)を筆頭に、ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」、シカゴ「サタデイ・イン・ザ・パーク」、バリー・マニロウ「涙色の微笑み」、アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」、エルトン・ジョン「可愛いダンサー(マキシンに捧ぐ)」、などなど。ブルース・ジョンストンの「ディズニー・ガール」が好きな人とか心当たりはないですか。

幼いころに伯母のホンダ・シビックに乗るとこういう曲がよく流れていました。住宅や自動車の購買層である親の世代に向けて、コマーシャルなどでも70’sポップスがよく使用されいます。世代間の断絶は若者文化のひとつのテーマですので、親の世代がよく聴いた音楽に対してゲンナリしてみせることがマナーとなっていますが、マナーを破るというのも若者文化のテーマのひとつです。

「高田馬場のジョイ・ディヴィジョン」としてこの曲は捨て置けませんな。どこかブリルビルディングの香りがすると思ってクレジットを見たら納得。セダカ&グリーンフィールドのペンによる75年のヒット曲です。シンセが可愛い!

バンドのデモを作るのにGaragebandというソフトを使用しています。このソフトにはエフェクターがいくつも用意されているのですが、ギターにディストーションをかけてしまった日には延々ペンタトニックのフレーズを弾きまくるか、往年のハードロック・名リフ大会が行われることになります。デモ作りが煮詰まっている証拠なんですが。これもひとつの”Guilty Pleasure”と言えるでしょう。初めて買ったギター雑誌がヤング・ギターという出自がありますので、ついついそういう面が顔を出してしまうのです。何がストイックだよ、ちゃんちゃらおかしいや!という話です。

ところで皆さんは「アルゴ」という映画をご覧になりましたか?私は映画館へ観に行きました。ストーリーの中でCIA職員のベン・アフレックがハリウッドへ飛ぶシーンがあるのですが、そこでヴァン・ヘイレンの「踊り明かそう」が流れるのです。これがまた実に気持ち良く響いてくるので驚きました。ギタリストというのは部屋に篭ってシコシコ練習するのが常であります。ヴァン・ヘイレンはそういう人たちのお手本として聴かれることが多いし、現に私もそういう位置づけでしか聴いておりませんでした。しかし、この映画での演出をきっかけに考えが改まりました。窓を閉めきった部屋で聴くヴァン・ヘイレンはヴァン・ヘイレンにあらず!窓を開けて外の空気を取り込みながら聴かなきゃダメなんだと。

さすがはプロデューサーのテッド・テンプルマンがらみで「ヨットロック」本編に出てくるだけのことはあります。西海岸スムース文化をハードロック方面で担っていたのがヴァン・ヘイレンなのです。ギターを捨ててビーチへ繰りだそう!ステイスムース!

 

我がお師匠さん

極希ではあるけれど、おまえのギターは何を手本にしているのかと尋ねられることがある。これは聞かれて嬉しい質問であると同時に答えに窮する質問でもある。回答に窮する理由について述べようと思ったが底なし沼に嵌っていきそうだったので思い切って省略する。それでもやはり容易に答えられる質問でもない。今後いつ訊かれてもいいようにある程度の筋道は立てておきたい。

と、思ったがやはり面倒なことは一切捨て置いて、ここは勢いだけで好きなギタリストを挙げていこう。

ウィルコ・ジョンソン Wilko Johnson

右の手首の力を抜いた状態でピックアップに対しやや垂直気味に人差し指中指薬指の爪を弦にぶつける。6弦を弾く場合はテンションが高いブリッジ寄りをコンコンと叩く。こう弾くと小気味の良い締まった音になる。

「君、指で弾くんだね?ピックアップにもピークというものがあって下手くそが力んで弾けばやはり音は汚くなる。指で弾けばいい塩梅の音量になるからピックで弾くよりも良い音がするんだよ。」学生時代、ドクター・フィールグッドのコピーバンドをやった際にある先輩より言われたことだ。そういうもんなんでしょうか。

ウィルコ・ジョンソンのブラッシングの音はシュコシュコシュコシュコと聴こえるから、聴いていて悩ましいに気持ちになる。

右手のタイミングには揺れがある。“She Does It Right”のリズム・パターンはセカンドラインに近く、少しばかりシャッフル気味に弾いているような気がする。ブリッジ側からネック側へ行ったり来たりしながらストロークするためか。

女の子が生まれたら「ウィル子」と名づけたいと思っている。男の子だったら「ブリ郎」。

デヴィッド・T・ウォーカー David T. Walker

世の中にはエレガントなエロがあることを教えてくれた。 ニック・デカロ『イタリアン・グラフィティ』収録の”Under The Jamaican Moon”の前奏、間奏及び後奏における手練の技。大人の余裕を見せていたかと思えば急に少年のような茶目っ気も見せるから 尚恐ろしい。初めて聴いたその日から今日に至るまで抜かれた骨の数夥し。

エイモス・ギャレット Amos Garret

不可解なのはボビー・チャールズのアルバムにおけるその抑えに抑えた激渋の演奏だ。ロビー・ロバートソン抜きのザ・バンドにエイモス・ギャレットという堪らない顔ぶれによる演奏も渋すぎやしないかと感じてしまう。そう思ってしまうのはおそらく私が素人だからだろう。想像するにきっとボビー・チャールズも含め彼らは檜風呂のようなグルーヴを生み出そうとしたのだろう。なんてかっこ良い人たちなんだろうか。

それはさておきエイモスさんのこと。エイモスさんの得意技に1音半チョークダウンというものがある。これをやられたら三半規管がイカれるのでたちまち酔ってしまう。きっと弾いている本人も酔っている。すっかり千鳥足なのだが、それはもう見事なステップの千鳥足だ。なぜそのタイミングで!という常人には理解しがたいタイミングでステップを踏んでいたかと思えば、体が段々と宙に浮き始めて昇天。エイモスさんはそういうギターを弾く。

来日公演を渋谷のクワトロまで観に行った。ステージに現れるとまず譜面台に置いてあった袋よりバンジョー用のピックを取り出し指に嵌めようとするのだが、手が震えてなかなか嵌められず、見ていておいおい大丈夫かよと思った。しかし弾き始めたら絶好調も絶好調。この日以上に音楽を聴いて心地よくなったことはない。しかるにライブの細かい所は一切覚えていない。終演後Tシャツを買ってサインしてもらった。間近で見るエイモスさんは恐ろしくチビリそうになった。

 

ロバート・クワイン Robert Quinn

マシュー・スイートとリチャード・ヘル、どちらも最高。久しぶりに聴いたらいかに自分がギターを弾けていないかということを痛感させられてヘコんだ。

ダニー・コーチマー Danny Kortchmar

オブリガートというものがこの世に存在することを教えてくれた。それは、世の中には良い曲というものがあって、同時に良い歌と良い演奏があるということを教えてくれたということでもある。この人の存在が裏方に目が向かせるキッカケにもなった。

ダニー・コーチマーに私淑していたと言っていいだろう。ギターというものは気持ちよく弾くものであるということ。粋な音、野暮な音があること。野暮な音は決して出さないこと。たまにはあえて外すことも忘れずに。そういったことを学んだ。

久々にJo Mamaを聴いていてダニー・コーチマーのような姿勢で音楽に接したいと改めて思った。それが自分にとって理想的なことのようにも思う。

https://www.youtube.com/watch?v=E5TxpJVKKQ8

鈴木茂

一時期どうしたら鈴木茂になれるかと思ってギターを弾いていた。「夏なんです」や「外はいい天気」のもわんとしたフレーズが心地よくて好き。