徒然ビューティー備忘録

忘年会、正月の帰省、新年会などを経て、暴飲暴食スイッチが入り、その流れで、1月中はついつい高カロリーのものが食べたくなってしまい、また週末になればお酒が飲みたくなり、欲望に素直な気持ちで従った結果お腹が出てくるというのがここ何年かのパターン。今年も例年通り、いよいよ腰回りがきつくなってきた。昨年は下半期になって何故かジョギングに目覚め、ついでに食事制限も始めたので、かなり脂肪は落とせたのだけれど、結局元に戻ってしまいそう。
今までお店で一人飲みということをあまりしたことがなかった。なぜなら店員さんを一度の発声で呼べる自信がないから。「すいませーん。すいませーん。すいませーん。すいませーん。」という連呼が、店員さんには気付かれず、周りのお客さんにだけ聞こえているという状態はなかなかに惨めだ。駅前にある日高屋系列の立ち飲み屋は一人の客が多く、店も広くないので店員さんが捕まる確率が高く、最近よく入ってしまう。料理の質をつべこべ言うのは野暮というもの。
それと、関係ないけど、回転寿司でレーンに回っていないものを注文するのも苦手。まず忙しそうな職人さんに対して気持ちで負けてしまう。周りの人は「えんがわ。あと、うに」みたいな感じでスムーズに注文しているけれど、自分の場合は「私の声が聞こえていますか?」という意味合いで、最初に「すいません!」と尋ねてからでないと注文できない。もはや回転寿司で注文することが普通のことであるのならば、わざわざ寿司を回転させることに必然性はあるのかという疑問もあるが、どうなんだろう。
日曜日、ブルーノート東京へジェームス・チャンス&コントーションズのライブを観に行った。ブルーノート東京へ行くのは初めて。すこしドキドキした。
まずジェームス・チャンスのヒップネスを讃えなくてはならない。やはりヒップネスというものは生半可なものでないと確信する。
ライブはジェームス・チャンスのソロピアノで幕開け。その後、バンドの演奏を従え、スタンダードナンバー「酒とバラの日々」で歌声披露。洒落なのか本気なのかわからない、なんていう一言が口を衝いて出ようものなら自らの頬に張り手を喰らわし目を覚まさなくていけない。ジェームス・チャンス本人は洒落とか本気といった尺度で物事に取り組んではおらず、当然のごとくそれを行っているという様子であった。そこには我々に対する一切の目配せもウィンクもない。おもねりとおひねりの微笑み合いが通用しないステージに思わず放心。
JBのカバーである”Super Bad”はストレートに取り組まれたものだったが、やはり出来上がりは異質で、我々が普段グルーヴと呼んでいるものと一緒くたにしようというのはどだい無理な話。官能と劣情の速さの違いか。「めっちゃ踊ったあ」などのノホホンとした感想で済まされるものではなかった。でもジェームス・チャンスのダンスはとても可愛らしいダンスだった。
すっかりヒップネスにあてられて、私事で恐縮ですが、自分の行い全般がとても恥ずかしくなってしまいました。この期に及んでコントーションズの影響が云々というような話はもはや茶番でしかないと思う。
ただの固有名詞へと押し遣ってなんとか安心せんとする我々の企てを潰すためにジェームス・チャンスは遠路はるばる日本へやってきたのではないかとさえ思う。
音楽を聴いて何か納得できるようなことなど一つでもあってたまるものかよ、と今敢えて言わなくてはいけない気がする。音楽をそのへんの手頃な日本語でもってブロック状に固めテトリスよろしくちょろちょろっと配置していくことは、収まりが良いというだけで、何かものがわかるというようなこととは全く別のことだし、だいたいそんなのはちっとも音楽的な行為とは言えない。しきりに反省するばかり。
聴いたことがないジェーム・チャンスの音源を求めてユニオン(本館)に行ったところ、ZEレコードの紙ジャケシリーズが何点かあり、まあまあ安かったので、The Flaming Demonicsと併せてCasino MusicのJungle Love 、WaitressesのWasn’t Tomorrow Wonderful?を購入。ついでにBlondieのベストも。中古センターほうにも行ったら49 Americansの二枚目がありなんとなく購入してみる。自分のツボを抑えたなかなか手堅い買い物。果たして本当にこれで良いのか。未だ全然消化できていない70年代アメリカンロックづいていた年末の買い物が奥のほうに追いやられてしまった感もあり。
gleeでも取り上げられたWaitressesの”I Know What Boys Like”のポップさは奇跡としか言いようがない。シンプルさとギミックの妙味。どうしたらこういう曲ができるのか謎。
Waitressesのドラムはテレヴィジョンのビリー・フィッカ(”I Know What Boys Like”で叩いてるのは別の人らしいが)で、見た目と凉しそうにドラムを叩く姿がなんとなくが林立夫似。
翌日、馬場のユニオンに行ってみると、Eggの一枚目から三枚目があり迷う。しかし思い切って大人買い。帰って聴いてみると良い感じだった。特に三枚目。管楽器が入っていて、ZNRとかThe Muffinsとかの雰囲気に近い。一枚目にはジョン・セバスチャン調の曲があり心安らぐ場面も。そういえば一枚目はなぜかタイラー・ザ・クリエイターがフェイバリットに挙げていた。去年ピッキオ・ダル・ポッツォの一枚目を入手して全然聴いていないことを思い出した。

 

MASAのハピネス便り

寒い。冬だからそれはあたりまえのこと。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」というけれど、春分までまだ二ヶ月も残されている。地元の小学生がベンチコートを普段使いしていたことを思い出して羨ましくなる。
今が冬であるという理由だけで軽軽しく「寒い」と口にしがちだが、コンビニや飲食店、電車などは暖房が効きすぎているのでむしろ暑い。夏は夏でどこも冷房が効きすぎているので寒い。本邦において外国人の薄着がよく揶揄の対象となっているが、極端なエア・コンディショニングにこだわる我々が果たして彼らを笑うことができるのか。
ロケットの打ち上げとでも言わんばかりの、季節に真っ向から逆らう温度設定は「わかりやすさの追求」というこの時流を反映したものであると考えられる。暑いとか寒いといった皮膚に対する過剰な刺激が感じられない場合、エアコンは動作していないものと同様であると見なされてしまう。暖かいとか涼しいと形容できる快適な温度では満足できず、せっかく電力を使用してエアコンをつけているのに寒くも暑くもないだなんて電力の無駄遣いではないかとついつい感じてしまう。いわゆる「温圧戦争」と呼ばれるものはこのような感覚に起因する。
我々の感覚がここまできてしまった以上、この土地にはもはや暑いところと寒いところしか残されていない。人々は「調度良い」という概念を忘れてしまったのだ。中庸というものがプラスでない限りにおいてゼロではなくむしろマイナスであると勘定されてしまう昨今において春と秋だけが空調のオアシスと言えよう。冬来たりなば春遠からじ。
昔から「その人の温度設定を見れば楽器の上手い下手がわかる」というがたしかにその通りで、夏場に冷房の設定を18度にする者などは、楽器をやらせるとやたら音がでかくてそのうえ抜けが悪く、聴いていて耳が痛くなるだけの演奏をする者が多い。
忘年会や新年会など、冬に行われる飲み会で、一番楽しい気持ちになる瞬間は決まってお開きになってお店の外に出されたときだ。冬場特有の室内の淀んだ空気から解放されて、冷たい外気に触れるとアルコールで弛緩しきった頭が冴え出すし、外の空気は室内よりも酸素の濃度が濃いから脳が活性化し、かなり良い気分を得ることができる。そこで解散ということになれば気分の高揚のやり場に困ってしまうから、二軒目行きましょう!ということになるのだが、改めて店に入るとやはり落ち着いてしまい、ぼーっとしがちである。そして、それでも尚快楽を求めんとする心からなんとか用を作って外に出たくなってしまう。居酒屋を抜けだして一人でコンビニに向かうときの高揚感もまた冬場の飲み会の醍醐味のひとつである。
今はただ、バラエティ番組の影響下にない飲み会が増えることを願うばかり。また、会ったときに時事ネタについて話さないで済む間柄がいかに貴重なのか最近わかってきた。
某日、シネ・リーブル池袋で「ストレイト・アウタ・コンプトン」鑑賞。イージー・E役の俳優がダウンタウンの浜ちゃんに似ていて、意識のどこかで「これは浜ちゃんにまつわる話である」と思って観てしまい、なぜか浜ちゃんへの愛が心の深いところで芽生えるという現象が起こる。しかし、浜ちゃんと「ストレイト・アウタ・コンプトン」は関係がないのだから、こんなことを言っていても何の意味もないのだが、少なくともこれはジェイソン・ミッチェルが演じたイージー・Eの人好きする人物造形があったからこそ抱いてしまう感情であるとは言えよう。小柄で声が高く、いつも笑みを浮かべ、周りにからかわれたときにははにかんで見せ、ストリート仕込みの賢さもあるが義理堅く、そして良く泣く。我々が愛すべき人物。
イージー・E、ドクター・ドレー、アイス・キューブの登場シーンからグループ成功あたりまでは思わずyeah!と快哉を叫ばずにはいられない展開の連続。特にドレーの登場シーン。ファンクのレコードの山の上にドレーが寝そべって、ヘッドフォンでロイ・エアーズを聴いてうっとりしているところを天井から撮影したシーンにこちらまでうっとり。これはスコセッシ的なものに滅法弱いということの証明でもあるが…
実話ものだから仕方がないことかもしれないが、後半はサービスのためだけのシーンが多くやや冗長に感じられてしまった。また気合の入ったポール・ジアマッティに胃もたれも。
これは映画とは直接関係のないことだが、映画を観る限りN.W.A.もやはり金銭がらみでもめており、なんだかモヤモヤしたので、念のため音楽ビジネスの本を何冊かamazonで注文してみた。その辺のことについてあまりにも知識がなさすぎるし。また、早急に弁護士との知己も得ないければいけない気がしている。しかし、うーん、これがなかなかに、ベターコールソウル。
時事ネタ的にも日本にシュグナイト的な人物が存在することが可能かどうか考えざるを得ない。ついでに今ものすごく「謝らないハリウッド(スキャンダルから見たアメリカ芸能史)」というタイトルの新書を書いて一山当てたいと思っている。まあ、いかにもなタイトルというだけでヒットするようなものでもないだろう。何が一山当てたいだ。ぬるい。あまりにもぬるい言説。自分の無力さに腹が立つ。
ところで、アイス・キューブの誕生日がいつだか知っていますか!1969年の6月15日。そしてなんと6月16日は2パックの誕生日!1971年生まれ。ちなみに私も6月16日が誕生日。さらにさらに6月17日はケンドリック・ラマーの誕生日!私と同じ1987年生まれ。驚愕のスリーデイズ。まさに双子座グラフィティ。
生きているとどうしても腐ってしまうことがあるが、同じ歳のケンドリック・ラマーが奮闘している限り、前向きな気持ちで物事に取り組まなくてはと思う。しかし…おい、オーシャン!2016年になっちまったぞ!ちなみにフランク・オーシャンも1987年生まれ。気合入れるのはフランク・オーシャンがアルバム出してからでいいやという気持ちもなきにしもあらず。
そういえば去年買ったドレーのアルバムは全然聴いていない。
月曜日は新代田FEVERにてDucktailsとスカートと対バン。Ducktailsの軽くて芯のあるドラムが心地良かった。ドラムというのは自分が思っている以上に軽く叩いても良い楽器であるような気がした。ドラムなんて叩く機会はないのだが。来月は同じく新代田FEVERでトクマルさん、Hei Tanakaさんと対バン。

「トリプルファイヤー鳥居の選曲管理委員会」のお知らせ

この度、御茶ノ水のCafe 104.5にて「選曲家」としてイベントを開催するはこびとなりました。日取りは2月16日火曜日でございます。19時30分から二時間選曲いたします。
Cafe 104.5はブルーノートジャパンがプロデュースするカフェでございまして、美味しい料理とお酒が楽しめることは請け合い、不肖鳥居も舌と胃袋に響くような音楽をご用意してお待ち申し上げております。アドミッション・フリーいわゆる入場無料ですのでどうぞお気軽に。
お仕事帰りに、またはデートに。女子会、男子会、男女会、おひとりさま、おふたりさま、なんでもござれ、でございます。良い音響で音楽を聴きたいという方にもオススメです。最近良いスピーカーで音楽を聴いていますか?DJ中は案外手持ち無沙汰なので人間Shazamとしての対応も可です。
ついては皆様お誘い合わせのうえ、奮ってご参加いただけますように何卒よろしくお願い申し上げます。ぜひおこしくださいね。
以下、詳細ページです。
http://www.cafe1045.com/music/_2016_216_tue.php

次回のトリプルファイヤーライブは…

3776さんとMaison book girlさんと共演です。以下、詳細です。
2月11日(木・祝)下北沢SHELTER
SHELTER presents 3×40
開場 17:30 / 開演 18:30
前売 ¥2500 / 当日¥3000
出演 3776 / Maison book girl / トリプルファイヤー
チケット e+
ついては皆様お誘い合わせのうえ、奮ってご参加いただけますように何卒よろしくお願い申し上げます。ぜひおこしくださいね。

 

What a lovely diary!

週末は札幌へ。なぜこのタイミングで札幌へ行ったのか説明すると、その目的は至ってシンプルで、ライブをするためだ。移動手段は飛行機!
会場はすすきののCOLONYというライブハウス。ここのJCの音がとても素晴らしかった。素敵なJCとの出会いはギタリストにとって何よりの喜びである。
これは完全なる思い込みに過ぎないが、新宿、特に歌舞伎町にあるライブハウスのJCの音は他の場所にも増して固い傾向にあるように思う。音に焦げ臭いようなところがある。
オーディオマニアの間では電力の使用量が減る深夜のほうがオーディオの音が良いというのが定説らしいが、そうであれば歌舞伎町の近辺で営業するライブハウスのJCの音が良いはずがない。しかし実際のところはそれほど単純なものではなく、個体差であったり経年変化であったり様々な要因があるはずだが、そのように込み入った話題は専門家にお任せしたい。
アンプといえば神保町の試聴室にあったYAMAHAのJ-35がいかにも年代物といった見た目とは裏腹に素直な音がして良かった。このアンプを安く入手すべき、という気がする。
昨年、急にフェンダーの真空管アンプが欲しくなり、銀パネのChampという小ぶりのアンプを6万円で購入した。とても後悔している。全然使用していないことが原因だとは思うが。
ただの板にパーツを必要な分だけ取り付けただけのひたすら軽いギターはないものかと探している際に、マーク・リボーが使っているのを見て欲しくなったメロディーメーカーというギブソン製のギターを買うときも「何がなんでも欲しいというわけでもないんだけれど」という気持ちが5割ぐらいあったし、買ってからも「何がなんでも欲しかったというわけでもないんだけれど」という気持ちが5割ぐらいあった。そのあたり見抜いていたのか、買う前に「本当に欲しいの?」と聞いてきたのは吉田くんであった。それはさておき、購入しても片手で万歳ぐらいの中途半端な気持ちだったものの、使っていくうちに後悔の気持ちも薄れていった。後悔という感情は案外揮発性が高いものかもしれない。
今買わなくちゃいけないような気がするダンエレクトロの12弦ギターを実際に買って後悔したとしても使っていくうちに忘れてしまうだろう。だから問題は買った後に押し寄せる後悔の念に耐えられるかどうかということになってくる。
消費活動に関わる後悔から逃げる唯一の方法は、目の前の物欲から目を離さずにペダルを漕ぎ続けることだ。振り返れば死屍累々。真っ直ぐ前だけ見て買って買って死ぬまで逃げ続けるしない。物欲に対して検証を始めると、ドミノ倒しでただただ暗い気持ちになるだけなのであまり考えないのが吉。しかし、いらないものに対してはいらないと言わなければいけない時期が来ていると思う。そんなことを声高に言ったところで自分の首を絞めることにしかならないのだが。それでもやはり12弦ギターの音色を使った音楽を作らなくてはいけない気がしている。それも今すぐに。
ダンエレクトロの12弦ギターを買うか買わざるかという問題はとりあえず棚上げして、代わりに年末に買ったバーズのアルバムを聴いている。Fifth Dimension収録の“What’s Happening?!?!”という曲がお気に入り。中途半端といえば中途半端だが、そこがまた愛らしくもある。というかこういう地味だがキラリと光る小品が好きでたまらない。”What’s Happening?!?!”はデヴィッド・クロスビーの曲とのこと。60年代後半の西海岸のロックはあのモヤッとしたややマイルドな音の質感が苦手で今まであまり聴いてこなかったがこの辺りをもう少しちゃんと聴いていきたい。
バーズがらみでいうとヴェルヴェット・クラッシュもカバーしたDillard & Clarkの“Why Not Your Baby”はいつ聴いても何度聴いてもやはり名曲。弦のアレンジはニック・デカロではないかと予想しているのだが、どうなんだろう。A&Mだし。ネットではヴァンダイクパークス説も囁かれている。でもヴァンダイクパークスではないと思う。
ジーン・クラークのWhite Light冒頭の“The Virgin”も素敵。流れでトム・ウェイツの“Hang Down Your Head”が聴きたくなる。やはりマーク・リボーのギターが聴き物。20代前半はこういうギターを弾く予定だった。いやまだ諦めてはいない。今でもエレキギターを用いた表現とはこのように行われなければいけないとさえ思っている。ここまできたらアレックス・チルトンのギターも聴かねばなるまい。エレキギターかくあるべし、というひとつの極点。どう考えたって。
戻り日は(北海道の話です)自由時間があったので、スピルバーグの新作「ブリッジ・オブ・スパイ」を観に行くことにした。目当ての映画館が札幌駅のすぐ近くにあるものだと予想していたら駅から少し離れた場所のショッピングモールの中にあることが判明し、バスに乗って移動。始めの15分ぐらい見逃してしまい、前方右側の席だったからスクリーンが平行四辺形で、更に寝不足のため途中で寝てしまったが、終盤から号泣。「ザ・マスター」でのフィリップ・シーモア・ホフマンの息子役が個人的にツボだったジェシー・プレモンス(橋本治似)の姿を確認。彼はCowboy and Indianというバンドでボーカルとギターを務めているそうだ。Cowboy and Indian (Featuring Jesse Plemons) “Trouble” at The Texas State Capitol 意外や意外、真っ当なアメリカーナ!
やはり北海道へのエフェクター類を持っていかなかった。スティーヴ・クロッパーやボビー・ウーマックを捕まえてわざわざ「アン直ですね」という人はいないだろうから、アン直を指摘されているようではまだまだ三流なのだろう、と最近よく思う。
ところで…(By The Way…)
いくつ?どこ住み?告っても良い?次回のライブ。

1月18日(月)新代田 FEVER
「ダムダム新年会!DUM-DUM NEW YEAR PARTY」
開場 18:30 / 開演 19:00
前売 ¥3500 / 当日 ¥4000(+D)
出演 DUCKTAILS / スカート / トリプルファイヤー
http://dum-dum.tv/
ローソンチケット(Lコード:79304)/ e+

今月はあとこれだけ。どうぞよしなに。ポジティ部!もちろん良い意味で。

 

スーパー楽しい日記!

みんな!明けましておめでとう。今年も「Notoriious B.l.G.」をよろしく。
大晦日はユニオンのセールで散財。最近は70年代のロックへの欲求が高まっているのでその辺をメインに物色。一口に70年代のロックといっても様々だが、産地でいえばメンフィス、ナッシュビル、マッスルショールズ、ウッドストックあたり。実際に買ったのウエストコーストのバンドが一番多いと思われる。加えてそのようなアメリカ音楽に影響を受けた同時代のイギリスのバンドも。
久々に東京で年を越して、元日の夜に新幹線に乗り帰省。22時30分頃地元に到着。駅前でおともだちにピックアップしてもらいそのままモンテローザ系列の居酒屋で飲んだ。(便所に行ったら「親父の小言」が貼られていた!最低!読んでみると良いことがたくさん書いてあった!しかし最低なものは最低!)今年はいつもの面子に加えて成人式以来会っていなかった友人がいたので旧交を温めた。
初夢はきゃりーぱみゅぱみゅのスタッフになるという内容だった。夢の中のきゃりーぱみゅぱみゅはNHK好きのする素朴な愛くるしさがあり、仕草の一つ一つがとてもキュートで、彼女が視界に収まっているだけで幸せな気持ちが充満する空気の層に包まれて体が宙に浮くような心地だった。こんな幸福な日々がこれからしばらくの間続くのかと思うと期待で胸がはちきれんばかりだったが、目が覚めてそれが夢であることを知ると、心から惨めな気持ちになってしまった。結局夜になってもその悲惨な気持ちを拭うことができなかった。こんな初夢を見るぐらいならばいっそ悪夢にうなされるほうがいくらかましだろう。なぜなら目覚めたときに安心できるから。
昔、夢日記をつけてみようと思い立ち、ついでに河合隼雄が明恵上人について書いた本を読んでみたところ、明恵上人の見る夢は志しの高さを表したようなものばかりで、身近な人物に叱られる夢ばかり見る自分が情けなくなったから夢日記をつけるのは止すことにした。このご時世を反映したようなあまりにも酷い初夢にそんなことを思い出してしまった。
そんなこんなで三が日(ところで、三ヶ日みかんは美味しい)が過ぎ、新幹線で帰京。Uターンラッシュの混雑を避けるために名古屋駅付近の映画館で「スペクター」を観て時間を潰したものの結局座れず立ちっぱなし。タブレットで「シンドラーのリスト」を観て過ごした。品川に着いて席が空いたので腰を下ろしたところ、黒い革のロングコートを着た男性が隣に座ったでほんの少しだけ驚いた。
年が明けた今「飽き」の大波が大挙しており、全てのことがつまらなく感じられて、何事にも今ひとつ身が入らず、下手に何かしたところで虚しさは募る一方。言うなれば「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の4番状態。こういう状況は一年に一回くらいのペースで必ずやってくる。だからそれなりに対処の仕方も心得ている。そんなときはJBの音楽を聴くに限る。ファンクやヒップホップのリズムに対して体が心地良いと反応するようであれば当面は大丈夫!すべてが!(ガンダムに殴られているような音楽はもう・・・・・・)
ついでに言っておきたいのは「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の3番の歌詞を全面的に支持するということ。ネットにありがちなエモボーイのぬるいニヒリズムなんぞは害悪以外の何ものでもない。田舎の中学生じゃあるまいし。ずっと横になったまま溜飲を下げて下げて下げ続けるのか、今際の際まで、スマホ片手に。人を呪わば穴二つ。そういう気持ちちゃんと持ってますか。
ものごとの全ては結局「やるか・やらないか」の二進法でしかなく、やる気の有無なんぞはお子ちゃまの戯言に過ぎず本来すこぶるどうでも良いことだ。しかし我々は経験から学んでいる。前向きな気持ちで何もしないことが一番経済的だということを・・・
なんてね!さあ、2016年も張り切っていきましょー!がんばるぞー!ウキー!!ポジティ部!