Louie Louieの勉強「ルイ・ルイ・シー・クルーズ」

ジャズ評論家・油井正一氏の「ジャズはラテンの一種である」という言葉を聞いて、細野晴臣氏は「ロックもラテンのなれの果て」ではないかと思ったそうだ。そんな説を裏付ける例の一つとしてロック史に灼然と輝くクラシック中のクラシック”Louie Louie”がどうにもぴったしくるから嬉しいではないか。皆さんも”Louie Louie”を巡る航海へ出てみませんか!(「地平線の階段」調)

“Louie Louie”といえばThe Kingsmen、The Kingsmenといえば”Louie Louie”と言っても過言ではない。”Louie Louie”は63年発表のシングルで、64年1月には2週に渡りキャッシュボックスのシングルチャート1位を獲得。ちなみに翌週の1位はビートルズの「抱きしめたい」だ。
お馴染み「タタタ・タタ/タタタ・タタ(I-IV/Vm-IV)」というリフのリズムパターンはギターとベース及びエレピが担っている。
さて、このThe Kingsmenのバージョンは「原曲」ではなく、Rockin’ Robin Roberts & The Wailersによるカバーバージョンをお手本にしたそうだ。

こちらは61年のシングル。発売から1年後の1962年、The Kingsmenの面々がライブのためにクラブに集まっていたところ、この曲がジュークボックスから何度も何度も流れていたそうだ。フロア中の若者たちが踊り狂うのを見て、ボーカルのジャック・イーライ氏は「この曲をやれば大ウケ間違いなし」と確信。これがThe Kingsmenが”Louie Louie”を取り上げるまでの経緯である。
Rockin’ Robin Roberts版のアレンジでは「タタタ・タタ/タタタ・タタ」というパターンは主にギターとサックスによって演奏されている。
ボーカルを担当するRockin’ Robin Robertsは高校生の頃にR&Bに狂い、黒人居住区でレコードを買うようになったとのこと。芸名は、Bobby Dayのヒット曲“Rockin Robin”(58年)から頂いたそうだ。その歌唱にはやけっぱちな黒さが感じられる。それは「イェイェイェイェ〜!」の部分やギターソロ前の半ばヤケクソな「Let’s give it to ‘em, RIGHT NOW!!」というシャウトなどに顕著に表れている。
バックをつとめるのはガレージ・ロックの始祖の一つであるThe Wailersで、59年に”Tall Cool One”というインスト曲でローカルヒットを放っている。
さて、Rockin’ Robin Robertsが聴いたオリジナルとはどういったものだったか。

57年のシングル。ベリーの歌唱はロバーツと比べるとさほど荒々しくはないが、甘く危険な香りが漂っている。発声に含ませた吐息には色気がある。だ”Louie Louie”という歌は船乗りの欲求不満を歌ったものであるからして色っぽく歌われてしかるべきだ。
ベリーは元々Flairsというドゥーワップグループの一員であった。Flairsは53年に“She Wants To Rock”というシングルを録音しているが、実はそのときのプロデューサーがリーバー/ストーラーであった。後のThe Coastersとして知られるThe Robinsの“Riot In Cell Block #9” のために低音ボイスのボーカルを探していた彼らの依頼で、ベリーはノンクレジットでリード・ボーカルを担当している。
オリジナル版”Louie Louie”のサウンドのメインはやはりコーラスで、Aメロは低音と高音が互いに合いの手を入れるというアレンジとなっている。楽器隊も各パートが抜き差しの妙で組み立てていくアレンジは非常に洗練されていると思う。こういった音の組み立て方をファンク的というのは言いすぎだろうか。
この曲でドラマーが叩いているのはストレートなエイトビートないしバックビートであるが、その始祖はアール・パーマーと言われている。50年代のロックンロールやR&Bにはまだスウィングの残り香があり、楽器によってリズムが跳ねていたり跳ねていなかったりする。このハネとタテの感覚が絶妙に混じったリズムを細野晴臣は「おっちゃんのリズム」と名づけている。そこから縦割りのエイトビートに変化していくわけだが、そのビートが使用されたレコーディング第一号はLITTLE RICHARDの“Lucille”であるというのがもっぱらの定説となっている。奇しくもベリー版と同年の57年である。
さて、例の「タタタ・タタ/タタタ・タタ」というリズムパターンであるが、原曲では低音コーラスが担当している。 Rockin’ Robin Robertsたちがこのリズムパターンを中心に据えてカバーバージョンを作ったということは、それだけこの低音ボイスのリズムパターンが強烈だったのだろう。そして、その印象に残るリズムパターンにもやはり親がいるのであった。

こちらはキューバ出身のピアニストRene Touzetがリーダーを務める楽団による演奏。57年のシングル。タイトルについているチャチャは50年代に流行したキューバ音楽の一つのスタイルだ。
50年代といえばマンボというこれまたキューバ生まれの音楽が一世を風靡した時代でもある。その筆頭格は「マンボの王様」ことペレス・プラードだ。その人気は日本にも伝播し、ご存知「お祭りマンボ」が美空ひばりによって歌われた。一方そのころ、キューバ国内で盛り上がっていたのはチャチャチャであった。迫力に満ちたホーンとパーカッションの応酬が目立つ熱っぽいマンボに対して、チャチャチャは優雅でスウィートな味わいのあるサウンドと軽妙なリズムが特徴である。
チャチャチャの第一人者はヴァイオリン奏者のエンリケ・ホリンという人物で、その代表曲であるところの「チャ・チャ・チャは素晴らしい(MILAGROS DEL CHACHACHA)」は世界中でヒットを記録した。日本でも雪村いづみ江利ちえみによって日本語でカバーされている。
チャチャチャは通常、バイオリン3~5にフルート、ピアノ、ベース、リズム・セクションという伝統的なチャランガという編成で演奏される。チャランガの編成でホリンに習いチャチャチャを取り上げたオルケスタ・アラゴンはキューバで大人気となり、長くその人気を不動のものとした。彼らの代表曲である”El bodeguero”はNat King Coleによって歌われている。
アメリカにおいてチャチャチャはポップソングの題材として取り上げられるほどの人気ぶりであった。59年のサム・クックのヒット曲“Everybody loves to Cha Cha Cha”だ。この曲で2本のギターが刻んでいるリズムはハバネラである。前述の「チャ・チャ・チャは素晴らしい」でもベースがハバネラを刻んでいる。
ハバネラは1800年頃フランス人によってカリブ海に持ち込まれたヨーロッパのカントリー・ダンスに黒人風のリズム感覚が加わって生まれたリズムで、4分の2拍子で演奏される「タタンタ・タンタン」「ターンタ・タンタン」というリズムが一般的なものだ。
世界で最も有名なハバネラは、ビゼーによるオペラ「カルメン」の中で歌われる、その名もずばりの「ハバネラ」であろう。ビゼーの「ハバネラ」にも下敷きになった曲があり、それはスペインの作曲家セバスティアン・イラディエルによる“El Arreglito”だ。イラディエルはキューバに住んでおり、そのときに大いにハバネラに魅せられ、帰国後、”El Arreglito”を作曲する。その後、世界中で演奏されることになる”La Paloma”を出版する。
ハバネラはアメリカン・ポップスの中でも頻繁に使われるリズム・パターンである。「ドン・ドドン・パン/ドン・ドドン・パン」のイントロでお馴染み、The Ronettesの“Be my baby”もハバネロの一種と見なすことはできないか。しかしこれをブラジル生まれのリズム、バイヨンだと言う人がいる。かのバート・バカラック御大だ。
先日読んだバカラックの自伝にバイヨンについての言及があった。これがなんとも素敵だったので少し紹介したい。バカラックがマレーネ・ディートリッヒのピアニストとして南米にツアーで出かけているときの話。リオデジャネイロに滞在中、ディートリッヒとバカラックは夜の丘を散歩していた。バカラックは街の方から聞こえてくるドラム・ビートに耳を傾けた。その時初めてバイヨンのリズムを耳にしたらしい。なんてロマンティックな情景だろう。続けてバカラックはポップスにおけるバイヨンの使用例を挙げている。そこでは”Be my baby”とともにThe Driftersの“There goes my baby”が挙げられている。バカラック自身もChuck Jacksonの“Any Day Now”で使ったそうだ。
それがハバネラかバイヨンかという問題はここでは保留したい。キューバのハバネラとブラジルのバイヨンがアメリカにおいて現地のフィーリングが薄れていくうちに何となく混じりあったと考えておくにとどめておきたい。
補足としてバイヨンが使用された曲を挙げておくと1953年日本公開のシルヴァーナ・マンガーノ主演のイタリア映画「アンナ」の主題歌である“Anna”や、イタリア映画の「高校三年」で取り上げられた“Delicado”あたりが有名だそうだ。ちなみに”Anna”は日本語でもカバーされており、歌ったのはここでも登場の江利ちえみだ。
バイヨンを使用した60sポップスで個人的に好きなのはRuby And The Romanticsの63年のヒット曲”Our Day Will Come”。エイミー・ワインハウスのカバーでご存知の方も多いかもしれない。”Our Day Will Come”はブラジル音楽的なアレンジが施されている。63年頃は曲名に”Bossa Nova”が入ったヒット曲が見受けられる。クインシーの”Soul Bossa Nova”(1962)や、マン/ウェイルのペンによるEydie Gorméの”BLAME IT ON THE BOSSA NOVA”(1963)、リーバー/ストーラーのペンによるエルヴィスの”Bossa Nova Baby”(1963)など。”Bossa Nova Baby”に関していえばオリジナルである62年のTippie & The Cloversのバージョンのほうがブラジル風味ではある。これらは今日我々がイメージするボサノヴァとは異なるものだが、彼らが元ネタにしたブラジル音楽は一体なんであったのだろう。ちなみにその内容に賛否はあるもののアメリカでのボサノヴァ人気を決定付けた『ゲッツ/ジルベルト』も63年のリリース。また、ボサノヴァという音楽を世界に広めたとも言われる映画「黒いオルフェ」は1959年公開の作品。テーマ曲の”Manhã De Carnaval”は多くのミュージシャンにカバーされ、スタンダードとなっている。
さて、話を”Louie Louie”に戻そう。当時、ベリーはチカーノ系のR&B・ラテンバンドRick Rillera and The Rhythm Rockersに参加していたようで、”El Loco Cha Cha”は彼らのレパートリーであった。
例の「タタタ・タタ/タタタ・タタ」というパターンは”El Loco Cha Cha”においてはピアノとベースが担っている。このパターンはいわゆるクラーベから付点が取れたものではないかと踏んでいる。クラーベを直線的なリズムにアレンジしたものではないか、と思うのだがどうだろう。
ベリーが”Louie Louie”を書くにあたり参考した曲には、”El Loco Cha Cha”の他にChuck Berryのエキゾチック偽ラテン曲“Havana Moon”があったそうだ。歌はだいたい”Havana Moon”の平歌が下敷きになっていると言っていいだろう。また歌詞においてはジョニー・マーサー作詞による“One for My Baby (and One More for the Road)”から着想を得たそうだ。
ここでThe Rhythm Rockersについてのこぼれ話を。当時、The Rhythm Rockersの周辺には後のThe Righteous Brothersとなる二人がいたそうだ。彼らの最初のシングル“Little Latin Lupe Lu”の録音にはThe Rhythm Rockersの中心人物であるRickとBarryのRillera兄弟も参加している。そして、この曲がThe Kingsmenによってカバーされるのだから面白い。
キューバから運ばれた”Louie Louie”の種がアメリカの土壌の養分を吸って成長したのち、Kingsmenによって拡散された後、どのような形に変化していったのか。

ファズ!シャウト!ドタバタドラム!フェードアウトまで何か叫んでいる!欲求不満な感じがひしひしと伝わってきて最高。これまでの”louie louie”にあったノホホンとした所が一切ない。キーも長調から短調になっているが、これはSonics版をお手本にしたため。グランジの始祖ともいえるだろう。ちなみにSonicsは先述のWailersと同様、ワシントン州タコマのバンドで、Kingsmenはオレゴン州ポートランドのバンドでどちらも北西部。シアトルはワシントン州の都市だ。
一方、近い時期にラテンの極に的を絞った先祖帰りバージョンもあったりする

キューバ出身のコンガ奏者、モンゴ・サンタマリアによるカバーバージョンだ。
最後は、”Louie Louie”のカバーではないけれど、おそらく”Louie Louie”を下敷きにしたと思われる曲で締めたいと思う。”Louie Louie”は一人でカリブ海を航海する男が愛する女のもとへ帰る曲だったが、こちらは反対に、運命の女の子を探しに旅立つという歌。「小さい頃、おっかさんが言いました。いいかい、世界にたった一人だけアンタにぴったりの娘がいる。その娘はきっとタヒチに住んでる。行ってみよかな世界中。オイラはゆきます、その娘を見つけに。」という出だしで始まる。

“Louie Louie”は3コードだが、この曲はもっとシンプルに2コード。Wreckless Ericの歌心が如実に表れている。
なんで雨に濡れて泣いてんだろ、世界には女の子が溢れているっていうのに、と泣き言を漏らしたり、南国で暮らす娘の姿を想像して意気込んだり。少年っぽい声のWreckless Ericが力んでしわがれ声を作って歌うからまた泣ける。
取り上げた曲をSpotifyのプレイリストにまとめてみました。

 

遅刻はサブカル

九州ツアー出発の朝は早かった。7時発の東京駅八重洲口発成田行きのバスに乗らなくてはならず、メンバーの集合時間は余裕をもって6時半に設定された。

当日、5時に設定したアラームで一度起床した後、念のため二度寝をする。15分程して本格的に起床するために気持ちを整える。5時半頃、山本君より起床の確認メールが届く。返信。シャワーを浴び、着替えを済ました後、荷物を持って家を出る。水っぽい雪が降っていたためコンビニでビニール傘と朝食の菓子パンを購入。10分程かかる駅までの道のりを半分ほど進んだところで、足元に異変を感じる。もしやと思って目を向けるとやはり左右異なる靴を履いていた。左足はKedsのChampion OXFORDを履いており、右足はVansのEraを履いていた。どちらも黒だ。傍目にはわかるまいと思い、第三者目線をシミュレートして確認すると、思惑とは裏腹に両者の差異だけがやけに目立って見える。Kedsは革靴のようなシェイプがエレガントでいかにもプレッピーといった風情、方やVansはストリート育ちの無骨な作りが頼もしい。これは旅の恥の範疇に数えてもいいのか。いやそれ以前の問題だと判断し、家に向かって走りだした。

雪で足元がままならぬ中、傘を差しながらギターおよびエフェクター類を担いで走るのは大変骨の折れることであった。家までつくとVansを脱いで、Kedsを履いた。せめて足元だけはエレガントでありたいと思ったからだ。

息を切らし汗だくになりながら走ったら何とかバスには間に合った。もちろん集合時間には遅刻したが。

学生時代、サークルの打ち合わせのため皆で部室に集まるということが何度もあったが、必ず時間通りに来ない者が何人かいた。一度、先に来たものだけで遅刻について話したことがあった。約束に遅れて焦ると股間がキューっとなるから嫌だという人や、太宰治を引き合いに出してまあ実際待たせるほうがつらいってこともあるよななどとを言う人がいた。私は授業などは平気で遅刻するが人との約束はあまり遅刻しないということを言った。少々得意げな所が癪に触ったのか、黙って聞いていた後輩の女子が一言。「謝るのが嫌なだけでしょ。」

小学生のときの夏休み、最初の一週間は地区ごとのラジオ体操に参加しなければならなかった。毎年基本的に皆勤賞で休むことがなかったが、一度だけ寝過ごしてしまい開始時間に間に合わなかったことがある。会場に近づくとラジオ放送がスピーカーから流れているのが聞こえた。皆が放送に合わせて体操する所を見て完全に日和ってしまった。皆の視線を浴びるのかと考えると堪らなくなり、誰にも気づかれないうちに踵を返してメソメソ帰宅した。

遅刻には肝っ玉や器の大きさを測られるようなところがあって、恐ろしい。大物は遅れて登場なんて言葉も洒落で片付けられないような気がする。遅れても何となく許されてしまう人柄や愛嬌、機転が利かせられる頭の良さなんてのも試されているかもしれない。勘弁してほしい。

遅刻とは反対に、大事な用があるときに約束の場所に早く着きすぎてしまった際、人がどうしているのかが気になっている。例えば就職活動なんかで面接会場のビルに早く着いてしまった場合、私はちょうど良い時間が来るまでそのビルの周りをぐるぐる回ってしまう。同じようなことをしている就活生を目撃したことは一度もなかった。皆ちょうど良い時間を狙って移動しているのか。コンビニで立ち読みしたりして時間を潰すのか。不思議だ。