ギターの元ネタと埒外にいることについて

過日、打ち上げの席で、対バンの方から、あなたのギターの元ネタはなんですか?と聞かれて困ってしまった。頭がクラクラしてしまったのだ。
あの曲のあそこの元ネタは何ですか?といった具体的な質問であればまだ答えようもあるけれど、そういう細かいところをまとめてパッと手短に伝えるのは至難の業だ。今までに一度もうまく答えられたことがない。
また、こういった話題は、「文脈」とか「90年代的編集感覚の是非」、「オリジナリティとは何か?」、「スノビズムについて」、「パクリの定義」といった、一家言の飛び交うややこしい話題に飛び火しそうで、いつも及び腰になってしまう。
「どう答えたらいいもんか」と唸っていたら、「ぼくはWeenを感じました」という言葉を頂いた。寡聞にしてそのバンドについては名前すら知らなかった。
家に帰ってからYouTubeで聴いてみたらこれがすこぶる良くて驚いた。よくぞ言い当ててくれました!という思いだ。早速amazonでCDを2枚注文した。
現時点ではYouTubeでさらっと聴いた程度だから、あまり下手なことは言えないが、直接的な類似はさほどないように思われる。しかし、これほど聴いていて自分にしっくりくる音楽もそうそうない。ある人がそういう音楽を称して肌着のような音楽だと言っていた。まさにその肌着のような音楽である。
そういう音楽を言い当ててくれた彼は分母分子でいうところの分母の奥のほうまで「感覚的に」見通していたということだろう。いやあ、嬉しいな。
「スキルアップ」のミュージック・ビデオを作ってくれたOTAMIRAMSのハクさんに、「とりいくんを感じた」ということで、イギリスの再発レーベルAceから出ている『Birth Of Surf』というコンピを頂いた。このCDはディック・デイルやデュアン・エディ、リンク・レイなど、初期のエレキインストを集めたものだ。こういう粋なプレゼントは本当に嬉しい。
たまに、DJをしたときのプレイリストを書いたブログの記事を読んだという方から、そういうのが好きならこれなんかどう?と自分の知らない音楽をオススメされることがある。こういう思いがけないプレゼントがやはり嬉しい。自分の手の届く範囲なんてのはたかが知れているから予想外のサジェスチョンはとても有り難い。
こういうことがあって、受信をするためには発信しなくちゃいけないんだとわかった。そう考えると普段の無口も考えものだが、それはまた別のお話。
ところで、下半期のテーマを「埒外」に決めた。まだ上半期がひと月残っているが、今は下半期に向けての準備期間だと考えて、良しとしたい。
さて、「埒外」について。金輪際、外的な要因に左右されながら自分の行動を決めるのをやめて、自発の心を大事しようと思った。
「疎外」というものは、外的要因に重きを置いた受動的な態度から生まれてくるのだと思う。周囲の環境に何かを期待するから「疎外」を感じるのではないか。端から「埒外」に身を置いて、何事も自分の心次第と考えていたほうが気楽であるような気がする。
「象のラジオ」の収録で「目標は何ですか?モチベーションとなるものは何かありますか?」という質問があった。俺はそのときに自信をもって「ない」と答えた。そこに「慣性の法則に従ってスーっとやっているだけです」と付け加えた。今にしてみると、我ながらなかなかいいセン行っていたと感じる。
おそらく質問されたときに、「目標」や「モチベーション」といったものを外的要因という意味合いで捉えたので、そういうものに左右されたくないという願いこめて「ない」と答えたのだろう。個的な高まりを重視したいということが念頭にあったのだと考えられる。しかし回答としては意図したところが伝わりづらくあまり良い物とはいえないだろう。
また、「慣性の法則」という言葉を「惰性」と捉えた場合、「何だスカしやがってコノヤロウ気取るな」と思う人もいるかもしれないが、「現に動いている最中なんだから、動機付けも何もないよな」と思って「慣性の法則」という言葉をあえて使ったといえよう。
「埒外」に身を置くことと、自分の殻に閉じこもることは少し違う。「埒外」の「外」を規定するのはあくまでも「埒」である。「埒」と自分との関係性を抜きにして「外」は成り立たない。だから「埒外」は決して「断絶」ではない。「埒外」は「埒」と地続きだから自由に行き来することができる。
わざわざ人の家まで出かけていって、「しけてんな!茶ぐらいだせや!」と憤慨するよりも、辺境に身を置いてときどきやってくる旅の人にお茶を出すぐらいがちょうど良いのではなかろうか。そうするとたまに遠いところのおみやげをくれる人もいる。