飲酒の上達・胃腸の弱り・劇薬と呼ばれる映画

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今から半年前に開催されたトークイベント「ファンクの庭」のために書いたテキストをnoteに公開しました。ファンクの音楽的特徴について書いています。

日記

6月から始めたダイエットがわりと順調だったので控えていた晩酌を再開したのだが、このところ飲酒がめきめきと上達しているように感じる。昔はたまに飲みすぎて二日酔いになり「もう二度と酒は飲まない」と心に誓うことが定期的にあったから、飲酒が習慣付くことはなかった。しかし、30を過ぎてコツを掴んだのか、毎日飲んでいても平気になってしまった。この一ヶ月ぐらい飲まなかった日はないと言って過言ではない。おかげで顔は浮腫むし、脳の細胞が死んでいっている気がする。少し控えねばと思うけれど、先日購入した4リットルのブラックニッカを消化してからで良いかと思う。深夜に職安通りのドンキで購入し、それを持って30分ほど歩いて帰宅した。『ジョーカー』をTOHOシネマズ新宿で観た帰りのことだ。
ホアキンがジョーカーを演じると聞いたとき、「ホアキンがそういうことするんだ~なんか意外!」と思った。『スーサイド・スクワッド』でジャレッド・レトが演じたジョーカーがとにかく不快だったので、ジョーカーのイメージを刷新してくれることを期待した。ああいう腕に覚えありというような俳優が気合を入れて演じた悪役が嫌で嫌で仕方がない。だから『ダークナイト』のジョーカーも魅力的ではあるけれど趣味ではないし、例えば紫色のコートを買ったりしてしまうほどの思い入れはない。
最初の予告編を観た印象は「良い感じ!」というもの。ただ予告編が良い感じの映画は本編がつまらなくなりがちという持論があるからあまり期待してはいけない。予告編が良い感じの映画といえば『インヒアレント・ヴァイス』。あんなにおもしろそうな予告編って他にあります?CANの”Vitamin C”が流れていてある種の「文化系」たちを殺しにかかっていたが、本編を見たら拍子抜けしてしまった。『ダークナイト・ライジング』も予告編は本当によくできていた。
ジョーカーと化したホアキンが廊下を闊歩するところをスローモーションで撮影するだなんてキメすぎじゃない?ちょっとださくない?とやや不安になった。けれどもアメリカン・ニュー・シネマ的なざらっとした感じもあったから、ドライでヘビーな口当たりになるだろうと期待もした。また、『キリング・ジョーク』的なストーリーだと予想できたので、未読だった『キリング・ジョーク』の翻訳版を購入して読んだ。期待値を下げてほしいという理由で早く否定的なレビューが登場することを願いつつ公開を待った。
件の『ジョーカー』だが、非常にスタイリッシュな演出が続きつつも、凸凹のない平面をするするするっと上滑りしていくだけでスクリーン上において特別な何かが起こるわけではない。内容は「劇薬」と呼ばれるものなのかもしれないが、映像はさらさらした水のような口当たり。懇切丁寧にすべてを説明してくれている。もうちょっと無茶してくれよと思う。キッズ向けのアメコミ映画とは対極の「リアル・ムービー」を作ってやろうという野心があるのなら。そもそもの話、こうした「リアル・ムービー」的な発想はトム・トム・クラブよりデヴィッド・バーン、ビヨンセよりソランジュ、ポールよりジョン、綾部より又吉のほうが偉いと思っているようなまったくもって気の合わなさそうな輩を連想させ、なんとなく苦々しく思ってしまうのだが。
『ジョーカー』を観て一番に連想した映画は『ラ・ラ・ランド』。内容のわりに画面には生気がないし、過去の映画の引用も「リアル・ムービー」を制作しているというアリバイ工作程度にしか機能していない気もするし、ストーリーは独り善がりだし、誰かが無茶したというような痕跡が残されていない。全体的に「映画風の映画」というトーンがみなぎっていて、この映画が映画としての体面を保つための辻褄合わせに付き合わされているような気持ちになったため、15分ぐらいしたところで早く終わってくれないかなあと思うようになった。今にして思えば、この映画はリアル・ムービーの体で撮られた極めてシンプルなつくりの痛快娯楽作品なのだと頭を切り替えることができればもう少し楽しめたはずだ。宣伝などによるミスリードにひっかかった自分が悪かった。「MCUなんかとは一緒にしないでもらえるかな」とでも言いたげな監督の素振りは前フリで、観客の我々は「いやいやいや!」と笑って指摘してあげるのが粋だったのかもしれない。
『ジョーカー』で厄介なのが、誰が観たってわかるような演出を積み上げた挙げ句、『ダークナイト』的なトリックスター然としたジョーカーが素顔で現れて「バカどもを焚きつけてやったよ」とほくそ笑んでいると解釈できないこともないというようなメタっぽい終わり方をしているところだ。ここでいうバカどもとは観客のことだ。こうしたやり口はしゃらくさいのであまり好きではない。やはり汗かいて地べたを這いつくばっているような泥臭い映画のほうが好きだ。不穏な音楽がずっと流れていたのもうるさく感じてしまい、集中を削がれた。音楽によって常に緊張を強いられるからかえって緊張を意識しなくなってしまった。あのやかましい音楽は画面に緊張感がないことを逆説的に強調してしまっている。登場人物が皆一様にアーサーに意地悪する点は、なんて律儀な登場人物たちなんだろうと思ったし、茶番じみていてちょっとおもしろかったかもしれない。
『ジョーカー』は概ね好評なのだろうが、おもしろいと思った人がそうだと言いにくい空気が醸成されつつあるような気もする。というのもSNSで見られる絶賛コメントに仰々しいものが多いからだ。NIRVANAが好きだと言えば、物事をシンプルに考えるのが信条であるというような人たちからカート・コバーンに心酔する「病んだ魂」を持った痛い人間というレッテルを貼られるだろうから、なんとなく言いづらいという状況と似ている。それで言えばRadioheadも同様に好きだと言いづらいところがある。ジョーカーに関するやたらとテンションの高い感想は早速ポエムと揶揄されており、それはそれでどうなのと思うが。でも、仰々しい物言いの人たちから愛されることもひとつの才能だ。
『ジョーカー』を観た帰りに買ったブラックニッカを1.5リットルほど消化した頃、深夜に腹痛で目覚めたり、体のほてりが続いたり、お酒を飲んでいないときも赤ら顔になったりしたので、やはり晩酌を控えようと決意。飲酒のコツは掴んだかもしれないが、体がついていかないから駄目だ。