俺はもうギターなんかどうでも良い

毎日ただ生活を送っていたら、更新のペースが乱れてしまった。週に一度更新するという決め事が生活における何らかの指標になれば良いと思っていたのだが、それが一体どのような指標になるのか未だにわからないままだ。
年始にギターの上達を今年の目標として掲げたはずだったが、いつの間にか全然練習しないようになっていた。しかし目標とか宣言というものは大体がそういうもので、おそらく世の中の有言の9割が不実行だ。近年、身の回りにおいても有言がきちんと実行された例は決して多くない。
しかし不思議なのもので、反対に開き直り「俺はもうギターなんかどうでも良い。上手いとか下手とかそんなもん誰が気にするか。何がクロマチックだよ。何がオルタネイトだ。今後一切練習しないし、触れたくもなけりゃあ視界にも入ってほしくない」なんてことを言ってみると、みるみる心が落ち着かなくなってなんだかギターの練習がしたいような心持ちになってくる。少し言いすぎたかもと思って優しい気持ちで接したくなってくる。だから、一度目標を決めたら思いとは反対のことを皆に吹聴して回ったら良いのではないかと思う。前向きな雰囲気でお茶を濁したり、何かする前から金言めいたことを発表して満足してしまうよりは幾分マシではなかろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=95V1XJZ2xYE

 

機材って何なんだろう

わかっていたことではあるけれど週一回のペースでブログを更新するのはやはり大変なことだ。別に誰に約束をしたわけでもないのだからやめれば良いと思うけれど、暖簾に腕を押す訓練という側面もあるから、なるべく続けたほうが良いような気もしている。
近頃、エフェクターを入れている肩がけバッグのベルトが肩に食い込んで辛くなってきたので、これを廃止して、巾着袋にエフェクターやケーブルを雑に放り込んで、それをトートバッグに入れて持ち運ぶようになった。エフェクターより自分の肩のほうが可愛いので、エフェクターの保護ということは一切考えていない。スタジオでそれを見た山本くん(a.k.a.LuckySound)に「壊れるよ」と忠告をもらったが、「絶対に大丈夫」と意地を張った私であった。
エフェクターケースを廃止してトートバッグを導入した時点で、巾着袋に入れただけでは鞄の中でエフェクターが暴れてしまい故障につながりそうだと感じていたので、小学校の頃に使っていたお道具箱に収納することを検討したが、お道具箱は思ったよりも高さがなく、エフェクターが収まりきるサイズではないようだ。代案として食品用のタッパーを考えた。amazonでちょうど良いサイズのタッパーを探してみたが、途中から段々腹が立ってきたのでやめてしまった。何でこんなことに時間を割かなきゃいけないんだと思ったのだ。エフェクターケースが格好悪いのがそもそもの元凶である。
かねてよりエフェクターケースの不恰好はどうにかならないものかと思っていた。あんなものを持ち歩くのなら書道セットや雀牌ケースを持ち歩いたほうがまだマシだ。ギターという楽器に関わってしまったことを後悔するほどである。本当にひどい。まず創意工夫をやめろといいたい。箱の裏に書いてある通りに作れば良いというだけの話だ。これはカレーの話だが。
全国の先鋭的な若者たちから支持を得ているスタイリッシュなバンドのギタリストがどんなものを使っているか気になるところである。
だいたいギター奏者が足元にエフェクターを並べることが一般的だとされていることにもあまり納得がいっていない。あるとき「エフェクターを全然使ってないよね。やっぱりそういうのが格好良いの?」と言われてしまったことがある。目くらましに鯖の缶詰でも置いておけば良かった。
もはやエフェクティストを雇ってその人に丸投げをしてしまいたい。エフェクターを括り付けた大きな板を壁に立てかけて、YMOの箪笥のような見た目にして、ステージ上でエフェクティストがそれをコントロールすれば良い。ついでにその人がギターを弾けば自分は何もしなくて良いので、とても楽だろう。

 

体調不良 / Véronique Vincent & Aksak MaboulのEx-Futur Albumを聴いて

水曜日に鼻水が止まらなくなったので風邪を引いたのだと思い、水曜=鼻水、木曜=悪寒、金曜=発熱と見当をつけたら、誠にその通りになった。寝たらだいぶ良くなったが、まだ全快とはいえず、頭がズキズキと痛む。本来であればこんなことをしていないで横になっていなければいけない。横になるって最高だと思いませんか!
今回の風邪の原因は体を冷やしたことにあると思う。体を冷やすのはきっと良いことではない。そういえば、中学高校と学ランを着ていたのだが、冬場はジャージを着てその上から学ランを着ていたことを思い出した。今にしてみると無茶なことをするなあと思う。それでも暖かかったのだから良いじゃないかとも思う。
昨年の2月4日は我々のアルバム「スキルアップ」が発売された日であったから、この前、発売から一年が経ったということになる。一周年ということで先行販売会のときに流そうと思って結局ボツにしたミックステープをアップロードでもしようかと思ったが、準備不足と生憎の体調不良で諦めた。件のミックステープのテーマは「開陳」といったようなものであるが、聞かれてもいないことを自分からベチャクチャ言うのもアレなので、一年経ったとはいえ、やはりしばらく放っておこうと思う。誰からも聞かれないまま終わってしまうこともあろう。
昨年の10月に発売されたVéronique Vincent & Aksak MaboulのEx-Futur Albumを一月前に購入してずっと聴いている。特に”Réveillons-nous”という曲がお気に入りだ。
Aksak Maboulといえば二枚目「無頼の徒」の一曲目”A Modern Lesson”のボーカルが入ったパートに続く、種々様々な楽器による短いフレーズの掛け合いで構成されたアヴァンギャルドなパートがとても好きで、”Réveillons-nous”にはそれに通じるような間奏が挿入されていて嬉しい。何よりこの曲はメロディがとても愛らしく、それを歌うVéronique Vincentの掠れ声も魅力的だ。ボーナストラックのHoneymoon Killersを従えたライブバージョンは、よりテンションの高い演奏で、何度も聴きたくなるような素晴らしさがある。ヴィンセント・ケニスのギターは早急にコピーしなくてはいけない。

 

等身大学自分発見学部

今年は週一回のペースでブログを更新すると宣言したものの、早くもその成就が危ぶまれている。

1日を3分割して、それぞれ、睡眠、労働、余暇にあてられたらそれが理想である。そうはいっても、現実はままならない。

昔、テレビを観ていたら、ある女子アナが「今一番欲しいものは何ですか?」という質問に「時間、ですかね」と答えていて、しゃらくっせぇことぉ言ってやがんなオイと思ったが、今そのような質問をされたら女子アナと同じように答えてしまうかもしれない。人間、余裕がなくなると面の皮が厚くなってしまうからいけない。

ままならない現実に対してまともにとり合おうとするのがそもそもの間違いなのかもしれない。肩すかし食らわすことが我々に残された唯一の抵抗手段であろう。いわゆるところのサボタージュだ。というわけで今回は手を抜いて昔書いたmixiの日記を再利用したいと思う。本当にしょうもない日記をリミックスアンドリマスターバージョンでお送りします。

等身大学自分発見学部
2010年02月06日 05:42

午後4時過ぎ、バイトの前に大学までレポートを提出しにいくと、提出期限が12時までだったために提出することが出来なかった。

そのレポートは、国際開発制度論という授業の課題で、「貧困削減戦略の成果と限界点について見解を述べよ」「アフリカのガバナンスにおける構造上の特性と課題について見解を述べよ」という問いに答えるものだった。その授業には割と真面目に出席していたので、ノートは取れていたし、レジュメ等の資料は揃っていたので、なんとかレポートを完成させることはできた。出来として大したものではなく、おそらくぎりぎり単位がもらえるかもらえないかというラインにあったかと思う。

そして、そんなレポートを携えて事務所に行くと提出期限を過ぎていたことが発覚したのだった。しかし、締め切りが12時というのはいかがなものか。午後5時頃が一般的な締め切りの時刻で、正午が締め切りというのは稀なことである。図書館の休館日が水曜日だったときのような違和感がある。普通に考えたら月曜が休館日だろう。

きちんと確認しなかった自分に非があるのは百も承知であるが、せっかく書き上げたレポートが提出できないなんてあまりにも不憫だ。そんな現実受け入れてたまるか。ええいままよ。といって医療法というまったく関係のない授業のレポートボックスにレポートを投函して、その場を立ち去った。

親切な職員の方がレポートを回収する際に、別の授業のものが混じっているのを発見して、本来提出すべきである教授の元に届けてくれることを期待したのだ。しかし、私は駅に向かって歩きながら居心地の悪さを感じていた。自責の念がムクムクと起き上がってきたのだ。

卑怯だろう。人の親切心につけ込んで。面倒だからと自ら教授に掛け合うなりなんなりせずに、他人に上手いことやってもらおうというその魂胆。根性が腐っている。2単位分の反省が必要だ。

翻って事務所へと急ぐ。バイトに遅刻してしまうかもしれない。その行動は賭けであった。

腹を決め、職員に「あの、レポートを、間違ったところに出してしまいまして」と告げると、意外にも職員は親切に対応してくれて、無事にレポートを回収することができた。

珍しく真面目に出席していた授業のレポートを睡眠時間を削って作成したにも関わらず、提出期限を間違えるという凡ミスを犯したうえに、悪巧みによって難を逃れようとするものの、良心の呵責に苛まれ結局提出しないで、バイトにも遅刻しかけるというこのエピソードは自分という人間を端的に表していると考えられる。

これさえ提出したら春休みが始まるというレポートを出しそびれて、私の春休みは始まったのだった。