夜ごとに太る男のために

Notoriious B.l.G.読者の皆、あけましておめでとう。今年もNotoriious B.l.G.をよろしく頼む。最高の一年にしよう。
大晦日の夜、実家に帰ったら大きくなったねと言われた。体重計に乗ってみたらと言うので、素直に従って体重計に乗ってみると一年前と比べて10kgも太っていたことが判明した。ひどい。
実家の風呂場で体を洗うときに鏡で自分の姿を見てみると、わんぱく相撲のこども力士のような体型になっていたから、ああ、さすがにこれは太ったなとは思ったものの、まさか10kg分も脂肪がついていたとは。
しかし、未だにスリムだった学生の頃のサイズ感で生きているから、ズボンは常に腹を圧迫しているし、Tシャツも腰回りや二の腕に絡みついた状態。しゃがんだりすると尻の上部が露出してしまったりする。自らの体型に対する認識が甘すぎると我ながら思う。かようにして人は自己を省みるという行為をおざなりにしてダーティーサーティーに突入していくのだろう。
「オッサン」とはとどのつまり自省することを放棄した男性のことである。ある特定の年齢を過ぎたもう決して若いとは言えない男性のことをいうのではない。オッサンは自分を中心に世界を見ている。これをオッサン天動説と呼ぶ。心ある人であれば通常、自分の言動が起こした反響音に耳を傾けるものであるが、オッサンはそういった反響などまるでお構いなしだ。だから食事をするときに自分がヌチャンヌチャンと咀嚼の音を発していることにも気が付かない。電車の座席や飲食店のカウンターで隣に人がいる場合においても股を広げて座る。足を組んで靴の裏を人の方に向ける。くしゃみをするときに口を手で覆わない。便所でスマホを見ながら用を足す。他人に肩をぶつける。居酒屋やインターネットで若い女の子に絡む。つまらない駄洒落を馬鹿でかい声で言う。自分の笑い声が大きすぎて相手の愛想笑いが耳に届いていない。
こういったダーティーなオーバーサーティーになってたまるかよ、と思う一方で、恥という感覚のない世界で生きていたら心地よいのではないかとも思う。世間に気を使い、人の顔色を窺って縮こまっている人に比べたら、恥のない世界で生きている人のほうが生活の充実度は高いのではないだろうか。だがしかし仮にそうであったとしてもやはり恥の感覚を放棄したいとは考えない。ダーティーな振る舞いをする自分を許すことはできない。
オッサンとは居直りの権化とでも言うべき存在だ。自分の存在を自明のものと考えている節がある。在り方として大変に楽ではあると思うが、そういう人物に決してなってはいけないというオブセッションが強く自分の中にある。昔から惹かれるのは決まって含羞を漂わせる人物だ。
居直りの権化のような人物がアメリカ合衆国の大統領に選ばれたことは世の趨勢を象徴しているのだろうか。どうあれいかなる状況下においても慎みや慮りといったものを失わずにいたい。