鳥ちゃんの「とりいそぎご報告!」

幸いなことに朝の通勤ラッシュというものにさほど縁のない生活を送ってきたが、ある時期、半年程、通勤ラッシュ時に電車に乗らなくてはならないことがあり、本当に辛かった。毎日が絶望的な気分だった。とはいうものの、伝え聞くところによれば関東には本当に地獄のような通勤ラッシュがあり、それに比べたら私が利用していた路線の混雑などまだ可愛い方だったのではないかと思われるが、そんなことを言っても辛いものはどうしたって辛いものだし、俺の体験のほうがよっぽど辛いなどと言い出す人を見越してまずは控えめに出て様子を窺うなんていう回りくどいことをわざわざする必要もなく、辛いことに対してはやはり声を大にして辛いと言っていかねばならない。なぜなら満員電車とは忍耐を美徳であると考える心の産物に他ならないのだから…なんていう考え方もあるかもしれないが、実際のところはよくわからない。そういうものなのだから仕方がないという虚ろな気分が支配的で、絶対改善してやるんだぞ!という気概を持つ者は誰一人としていないことだけは確かだ。
朝の移動というと乗車してからの時間も当然辛いが、乗るまでの間も相当に辛くかなり疲弊してしまう。最寄り駅の改札は線路を挟んだ向こう側にあるために、一度踏切を渡らなければいけない。その踏切はいわゆる開かずの踏切で、その酷さは夕方のニュースでも取り上げられるほどだ。
踏切には電車が通過することを知らせる赤いランプが設置されている。ランプは矢印の形になっており、上りと下り、それぞれの進行方向を示している。通勤の時間帯などはこれが常時点灯した状態だ。ランプの点灯が片方だけになり、後一本電車が通過すれば遂に踏切が開くぞと期待させておいて、電車が通過している最中に再びランプが点いたりすると周りから嘆息が聞こえてくる。ブツブツと文句を言う人もいる。頃合いを見計らって遮断機を避けて横断してしまう人もいる。踏切に開閉に律儀に付き合っていてはイライラが募るばかりでなく遅刻もしてしまう。しかし開かずの踏切を勘定に入れてその分早く起きるなど言語道断である。
もし自分が「ハンガー・ゲーム」や「ダイバージェント」、「メイズランナー」などのヤング・アダルト小説を原作とするディストピアが舞台の映画に出てくるような支配階級の実力者だったら、国民を無理矢理ぞれぞれの生活リズムによって「朝型」「昼型」「夜型」「深夜型」の4種類に分けて、通勤の時間帯を分散させることで交通の混雑を解消させたい。
通勤ラッシュに慣れないうちはとにかく人の多さにショックを受けて、毎回疲弊しきっていたが、3日もすれば脱力の勘所みたいなものが身について、それほど精神をえぐられることもなくなった。改札を出てしまえばそこで終わりで、もちろん辛いことには変わりないし二度と乗るものかとは思うのだが、一日中尾を引くような疲労感を覚えることはない。
受けるストレスの度合いでいえば通勤ラッシュよりも帰宅ラッシュの時間帯のほうが大きいように思う。通勤ラッシュに慣れた乗客の間では痛み分けの妥協点が共有できているというか、皆が腹を括っているから過密ということに我慢さえしていれば物事がスムーズに進むことも多い。車内は殺気立っているがその分マナーの悪い乗客などは淘汰される傾向にあるように感じる。帰宅ラッシュは通勤ラッシュよりも人が少ないものの、それでもやはり混雑しており、さらに他人と密着するほどではない微妙な混み具合からパーソナル・スペースの調整がうまく行かず周囲の乗客とスペースを巡って心理的な小競り合いが起きがちで、それが何よりのストレスとなる。それに加え、パンパンに膨れあがったリュックサックを背負ったまま車両に乗り込んだうえにそれを何度もぶつけてくるタフな学生風の男や、ドア付近に立って電車から降りようとする人の通せんぼする輩や、つり革に掴まらずブレーキとともによろけて体を人にぶつけたうえに謝りもせず同行の者と顔を見合わせてヘラヘラしているハイティーンの集団など、マナーに対する姿勢が甘めの者も多くこれもストレスの種だ。
あるときもう本当にうんざりなんだよ!という気持ちで、荒んだ空気が充満した帰宅ラッシュの電車に乗っていると、説明口調で何か言っている男性がいたので、下衆な気持ちからイヤホンを外して男性の言っていることを聞いてみると、どうやらブレーキが掛かったタイミングでよろけてしまった人に体当たりをされたらしく、そのことに対して周りの乗客にも聞こえるように文句を言っているようだった。
「あのー、よろけないでください。皆我慢してよろけないようにしているんですよ。自分だけは許されるなんて思わないでください。皆さんもそう思いますよね?誰も言わないからこうやって私が言っているんですよ。いいですか。お願いしますよ。」
水面に小石を放るとできる波紋のように男性の周りにいた人がすうっと引いていくのが感じられた。車内を満たす荒んだ空気が一気にクールダウンしていく様が肌でわかった。「男性対その他の乗客」という構図の導入によりバラバラだった乗客の気持ちがひとつになったようなところもあり、マナー向上を目的として派遣された鉄道会社の差金かと思うほど見事な空気の変わり方であった。
先の男性の行動から思い出されるのは、バンド活動に従事していると思しき若者たちがリハスタのロビーで、彼らが観に行く予定だという某外タレの来日公演に前座として出演する日本人若手バンドに対し「全然いらねー。絶対観ない。バースペースで時間潰すわ」なんて言っているのを聞いてしまったり、新宿のFlags付近で読モ風の女性が同行の者に「わたし人混み嫌いなんだよねぇ」と言っているのを聞いてしまったり、六本木を歩いているときに三十がらみの女性二人組が「学生さんって本当イタイよね」などと話しているのを聞いてしまった時の気まずさのようなものだ。
また、怪奇もののショートショートにありがちな、人間関係に悩んでいる主人公が「あいつらなんて消えちまえば良いんだ!」と叫んだら謎の人物による怪しい力によって本当にその通りにされてしまい、罪悪感から精神的に追い込まれていくような話に近いものを感じた。
自分がぼんやりと考えていたようなことでもその言葉が他人の口から実際に出てくると、なんだかなぁという気分になってしまい、決してその通りよくぞ言ってくれたという気持ちにはならない。
男性は続けてこう言った。
「あともうひとつ。降りてすぐ歩きながらスマホを見るのはやめてくださいね。これ非常に危険ですからね。そう思いませんか?誰も言わないので代わりに私が言うんですよ。お願いしますね」
自分の言い分が通らなかったり物事が思い通りにいかず、こめかみに青筋を立てて怒りにうち震えているような状況では、我を見失いがちであるが、一度他人が自分と同じような異議申し立てをしているところを想像してみると少しは冷静になれるのではなかろうか。その際にあまり好印象を抱いていない人物が言っているところを想像するのがより効果的だと思われる。「ふと我に返る」というような状態にもっていくことができるだろう。しかしこの思考のプロセスが習慣化してしまうとアイデンティティ・クライシスに陥ってしまいそうな気もする。ただ思考に別の回路を設けておくことは考えが袋小路に入り込まないようにする手段の一つになると思われる。
人としての器または度量と呼ばれるようなものが御猪口を裏返したときのくぼみ程度しかないので、他人のちょっとした発言などに腸が煮えくり返る思いをすることもままあるが、そんなときは発言した者が今際の際になって家族と感謝の言葉を掛け合っているところに突然現れて「でもあなた、私にこんなことを言ったよね」と指摘するところを想像してみる。その後、家族の者に「なんなんですか!」と糾弾される展開などを考えると、ごちゃごちゃ言われるのも面倒だなという気持ちになり、昂ぶった感情も有耶無耶になって、とりあえず落ち着きを取り戻すことができる。

 

Masamichi Torii