権威主義、と書いたそばから顔を赤らめています。音読みの漢字が3文字以上続くとどうも調子が出ない。
しかしなんと厳つい言葉だ。字面からして戦国武将の鎧兜のような質感を携えておりヘラヘラしながらその言葉をつぶやいたのならその重厚さに耐え切れずたちまち膝が折れ自力で立ち上がることができなくなってしまうだろう。その言葉を口にしたら最後、今年の夏、ビーチでビキニ姿の美女の背中にサンオイルを塗ったり、戯れにスイカを割ったりして仲間とはしゃぐというような夢想は諦めるほかない。重厚はバカンスを遠ざける。
君がもし今年の夏も多摩川あたりで開かれるバーベキューパーティーに誘われるあてなどなく、例年のごとく冷房の効いた部屋で100円アイスの溶けた残滓が染み込んだ平べったい木のスプーンを舌で弄んで、日焼けした肌に汗を光らせる高校球児たちが白いボールを追う姿をテレビ中継で眺めながらも、バーベキューの招待状が届くことをまだ諦められずにいるのなら、その言葉は決して口にすべきではない、と恥ずかしさついでに英文翻訳調にしてみた。
長いものには巻かれろ的なぬるい性格を批判するのはわかる。それはすこぶる良心的なことだ。ただ気になるのは、その言葉を使う人が、「おまえんとこのよりうちのおとっちゃんのが偉い」という風に他のトライブとのいざこざでそれを使いがちという点だ。いざこざの根本にあるのは他のチームは認めねぇよというよくあるファン心理みたいなもので、これは別段どうということはない。しかし、そこで使われるのがなんとも物々しくて心臓に悪く、且つもっともらしい言葉であるということと、自分も似たような性格であることをいともたやすく棚に上げてしまう鈍感さがどうも気になってしまう。こういった重厚を携えた鈍感さの末路は居酒屋の便所で男性用便器を前にした時に目線にぶつかる「親父の小言」として目にするところだ。
例えば「ディランを聴く奴は権威主義者。俺は権威主義者ではないからディランは聴かない。」なんて人物がいたとしたら、その人物はどう考えたってガッチガッチの権威主義者だ。こういう自覚なき権威主義者ほど、他人を捕まえて権威主義とか言うものだ。こういうデタラメがまかり通る世の中に思わずコータローもビックリ。
「なんだ偉そうに!調子のんな身の程知らずが!」と言って上から目線を批判する人の下から目線が対象と同じ程度に偉そう、というよくある話に似ている。しかしこの目線を下にした場合のガードは相当に強い。そうそう破れられない。おまけにセンチメンタルという切り札もある。これを出されたらもう終わりだ。赤兎馬に乗った呂布が現れたと思ったほうが良い。しかもその呂布は一人だけではない。呂布が呂布を呼び気づいたら辺り一面呂布だらけだ。恐ろしい。