近頃P-FUNK(特にファンカデリック)が好きになったので少しずつCDを集めている。それにしてもダブり買いしてしまいそうで怖い。America Eats Its Youngの1曲目があまりにもクールすぎるので失禁しながら書いてます。ゲイリー・シャイダーに倣ってオムツを履いているので特に問題ありません。ドラムは誰が叩いているんだろう。ファンカデリックのドラムは、歯ごたえ(耳ごたえ?)があって、聴いているとおせんべいを咀嚼してるみたいな気持ちになる。食べているときに口を開けちゃいけませんね。
先日、早稲田のサークル「ワセレコ」主催によるイベントの終了後、たくさんの学生さんたちに混じって打ち上げに参加するという機会があった。そこで、延々ビールを飲みながら、野島さんにイギリスのロックについて色々と教えてもらうという学生のときのようなことをして、自分の相変わらずっぷりに涙がちょちょぎれんばかりだったが、結果的に楽しかったから良い。最近は誰かと音楽の話をする機会もめっきり減りました。
翌日の東京工芸大学(ジョギング中に通過する。まあまあ近所)でのライブにビート研(今はビー研というらしい)に所属しているというお客さんが来ていて少し話した。卒業する頃はほぼ死に体だったが、今は持ち返しているとのこと。ライブ後、日が沈む前から飲んで相当良い感じに。
わざわざ人に言うほどのことでもないかもしれないが(誰からも読まれていないという話もあるが。自虐ではなく本当に。アナリティクス導入の意味はあるのか)、一月ばかし前に、長年親しんできたエゴサーチをやめた。今のところ禁断症状のようなものは出ていない。やめて生活が大きく変わったということもないのだが、ストレスの種を一つ減らすことには成功できたかと思う。やらずに済むのならやらないに越したことはない。このままツイッターを開店休業まで持っていけたら最高だ。
禁煙に成功した者が喫煙を続ける者を嘲けながら「あんなものは百害あって一利なし!今日も飯が旨いぞ!君もやめたらどうだねアハハ」などと言って得意になっている図をここで演じるつもりはない。ただ、一月以上経過した今、誰かに自慢したくてウズウズしているということだけは否定できないだろう。一月ぐらいじゃ何の自慢にもならないことも承知の上だ。そもそもこれは自慢になるようなことなのかという疑問もあるがそれはさておくとする。どうあれ、こんなものは甘えの裏返しでしかないから、いくら自慢したつもりになったって結局は如何に自分が良い年して甘えん坊であるかということの表明にしかならないのだが。
その行為は、良い気分を得るために他人を一回かますところにどこか危うさがあるように思えたし、また、スマホさえあれば、いつでもどこでも、それが公衆の面前だろうと、しかも無料で何度でもできてしまうことにもどうも色気がないように感じられた。
軽い出来心で始めたその行為はいつの間にか習慣と化し、スマホを持つと反射的に指が自然とそれを始めてしまうという状態になってしまい、いよいよ、これってまあまあ地獄だよなあ、そこまで大したことじゃなさそうなのがかえって質悪いよなあ、と感じるようになってきたから、エゴサーチとはアリヴェデルチすることにした。
中にはエゴサーチに対して、マーケティング的な観点での意義を見出す人もいるだろう。そういった方にはその方向で進めていただけますと幸いでございます。引き続きよろしくお願いいたします。
エゴサーチに淫してばかりいると自分で自分を対象化して検証する能力が退化していくのではという懸念もあった。2015年にそんなものは必要とされていないのかもしれないが。
忘れられがちなことではあるが、我々の活動の多くは、単に人前に立つことではなく、基本的には人前に立って音楽を演奏することなわけで、それがなぜかと申せば我々が楽器演奏者であるからだ(その証拠にステージに立つ時は必ず楽器を携えている)。そして、楽器演奏者が自分で自分を検証する能力を放棄してしまったら、これは結構まずいことなのではないか。
まずい演奏というのはベチョベチョのチャーハンみたいなところがある。音符を水分に、休符を空気に見立てるとわかりやすいが、この両者のバランスがグルーヴおよびチャーハンの美味い不味いを分かつ大事な要素のひとつとなっていると言えるだろう。心地よい状態にグルーヴした演奏というものは、パラパラのチャーハンのように、水分=音符、空気=休符のバランスが良い塩梅に調整されている。おそらくこのバランスには黄金律のようなものがあるのだろうが、自ら楽器を演奏する限りにおいては、自転車の乗り方を覚えるようにして体得していく以外に手立てがないように思う。
ファッション誌を読んでいるとストリートスナップのページで「サイジング」について褒められている人が散見できるが、そういう「サイジング」みたいな微妙なところを姿見を見て調整していく感覚が、演奏する場合においても必要なのではなかろうか。だから、と続けるには些か飛躍があるが、エゴサーチの結果を鏡だと思い込むのはどうなの?ということにもなってくる。誰も「16分の裏が甘いのが気になって踊れなかった」みたいなことはつぶやかないし。誰も見てないから良いやと思って綻びを放っておけば必ずその綻びはジワジワと大きくなり、妥協する気持ち、自らを欺く気持ちも強くなっていくことだろう。
だいたい、楽器を使って何か音を出せばそれはもう音楽である、ということは自明だと言って差し支えないだろうが、本当にそうなの?という疑問も当然あるわけで、それってもはや楽器がアリバイのための道具でしかなくない?などと思うのだが、昔から「音で楽をすると書いて音楽」なんてことを言うし、元々がそういうものなのかもしれない。そして、そういったことはおそらく売れるとか人気が出るということとあまり関係がないことなので、ずっと軽んじられてきたのだろう。それでこの有様である。などと言うほどウブではない。
ところで先ほど「グルーヴ」という単語を持ちだしたのでついでに言っておくと、「グルーヴ」というものはどう考えたって舶来品で、「スタバにマックブック」というウンザリするようなクリシェに隣接した案件といって過言ではないだろう。だから結構「サードウェーブ系男子」(一瞬で死語に)などという揶揄を喜んでいる連中(=洋画を観ていて皆と違うタイミングで笑う日本人を許せないタイプの連中)から顰蹙を買いがちでもある。舶来品やハイカラなこと・ものに対してアレルギーがありながら、横文字で表記される「ロック」といった音楽のスタイル乃至カルチャーに接することは難儀なことであろう。そんな元マイルドサブカルの心情的居直り反動保守なんて無視無視(「文化的」な恨みは食べ物の恨みと同じぐらい怖い。喧嘩は品性を捨てた者が勝つ)なんて言って知らぬ存ぜぬで押し通しておけばきっと問題ないのだが、ここはひとまず「心中お察し申し上げます」と言ってお茶を濁しておこう。
思いっきり前言を撤回する形となってしまうが、正直なところ、世の中にはガッチガチのエゴサーチ魔で且つ演奏がめちゃくちゃ上手いという人も一億人ぐらいいるだろうから、この二つに大した相関関係はないだろう。ただ、オールドスクールの音楽家のダンディズムであったりクールな態度に憧れる身として、ベチョベチョのチャーハンの中でウェッティーにワイワイやるのはちょっとイヤだなぁ、わからないなぁ(裏糸井重里)、というただそれだけの話。楽しかった中学高校をいつまでも引き伸ばしたいのはわからんでもないが、良い歳して思春期の男同士の浮ついた触れ合いみたいなものを続けるわけにはいかんでしょう。
世に恐ろしいものはベチョベチョになったエゴが寄り集まって巨大なベチョベチョのチャーハンを形成して、しかも誰もそのことに気づかずにいるという状態だ。口の悪い毒舌家風の者などを調味料として適宜配置し味付けを濃くしてごまかすなんてことを始めた日には、もう本当に目が当てられない。毒舌家風の質の悪さは、アグレッシヴに見えてその実、他人に辛さを受け入れさせる乃至許してもらうという受動的な形でしか存在していないから精神の根っこは相当甘々で、辛いから油断してたけどめちゃくちゃ糖質高い!やばい!というところにある。
チャーハンも演奏も集団でさえもパラパラになっている状態が一番望ましいように思う。28年間生きて未だにベチョベチョ状態か中華鍋から飛ばされて孤立という状態のどちらかにしか立ったことがない人間が偉そうに語ることではないのだろうが。
ところで、巷間において、エゴサーチという言葉は、自分の名前や自分が関連しているもの以外の、例えば、自分が愛情を注いでいるものを検索する場合などでも使われているようだ。だから言いようによっては「日本」で検索することもエゴサーチの範疇だと言えるだろう。前に一度、シャレで「日本」でツイート検索をしてみたことがあったが、憂いている人が多く、良いようには書かれていなかった。
自分が愛情を持って接しているものも、相当ベチョベチョ化が進んでいるものの、エゴといえばエゴではある。しかし、それらをひっくるめてエゴサーチと呼んでしまってはなんだかややこしいし、むずがゆさもある。そこで提案したいのは、本来的な意味でのエゴサーチを「愛サーチ」と、愛着を持った対象をネットで検索することを「友サーチ」と呼ぶことだ。そして、自分の名前と好きなものの間にスペースを空けて検索することを、「友&愛サーチ」と呼ぶことにしたらどうだろう。我ながら最低の思いつきで、天晴れ!という他ない。
「愛サーチ」は英語の一人称である”I”と自己愛の愛がかかっており、「友サーチ」は同じく英語の二人称の”you”と友愛の友がかかっているわけである。ところで友愛って何なんだろう。
そういえば、近所に「友&愛」というゲーム屋さんがあったけど、何年か前に潰れてしまった。