憂いのベテランミュージシャンから、大学デビューの「ポパーイ」読者層まで、耳の早そうな音楽ファンみたいな振る舞いをする人たちから今年一番愛されつつあったのは間違いなくNanso Country Clubだろう、と誰かが言っているのをどこかで聞いたような気がする。「紳士のスポーツと環境破壊のマリアージュ」なんて評す声も耳に入ってきた。おもしろい。そう、それが彼らの、そう、第一印象だった。
千葉県市原市に居を構えて活動する彼らは、元々東京生まれ東京育ちのシティボーイたちだ。そんな彼らがあえて市原市に移り住んだのはなぜなのか。斜陽産業とも言われ断末魔を上げつつ生きながらえようとする音楽業界の主流から一定の距離を置いてマイペースに活動する彼らがどんなことを考えているのか。そんなことが僕はとても気になっていたのだったのだ。ボーカルかつメインソングライターのピョンヤンとキーボードのラブホテル君と小一時間ほど(インタビューは小一時間で終わらせる。それが僕のモットー)話をする機会を得た僕はそんな疑問を二人に投げかけてみたのだったのだ。
ちなみに今回僕が使ったレコーダーはお決まりのICレコーダーではなく、昔ながらのSONY製テープレコーダーだ。テープ特有のコンプレッションが利いたローファイだがウォームなサウンドが心地良い。Nanso Country Clubの音楽性にも相通じるところがあると僕は感じたのであったのだ。
なお、このインタビューは前後編に分かれている。前編は、若手ミュージシャンの中でも特にユニークな音楽性を持ったピョンヤンの音楽遍歴とバンド結成に至るまでの道程とラブホテル君の沈黙をフィーチャーした内容となった。
立川談寝具は練馬のほう
—現在はメンバー全員で市原市に移り住んで活動されているそうですが、元々は皆さん東京生まれなんですよね?
ピョンヤン はい、生まれた家は学芸大学の近くだったんですけど、小5のときに豊洲に引っ越しました。ラブホテル君は円山町のラブホテル生まれというどうでも良い設定が一応あるんですけど、本当は松濤生まれの松濤育ちで、親がマセラティに乗ってるような超ボンボンです。ギターの立川談寝具は練馬のほうで、トロンボーンの刑事トロンボは親が親なので場所は伏せておきます(笑)。
—そのことに関してはNGじゃないんですね。むしろウェルカムぐらいの感じですか?同じ境遇のミュージシャンでも触れられたくないっていう方が多いと思うのですが。
ピョンヤン トロンボ本人はどうしても先入観を持たれてしまうので嫌がるんですけど、変に触れないほうが余計に詮索されてしまうことってあるじゃないですか。だからこっちからガンガン言って、向こうが冷めちゃってもうどうでも良いよってなるとこまで持っていきたいんですよね。「お前はちゃんと実力持ってるんだし大丈夫だよ!KJだって昔CMで古谷一行と共演してたじゃん!」つって、結構いじっちゃってます。主に俺が(笑)
—ある種の開き直りというか。月並みな質問で恐縮ですが、どういうきっかけで今のメンバーと知り合ったのですか。
ピョンヤン まずラブホテル君とは、「ウォーハンマー」っていうミニュチュアゲームがあって、その大会で知り合いました。日本だとあまり知名度ないんですけど、海外だと結構人気があるんですよ。ボードゲームみたいな感じで、駒がモンスターとかロボットなんです。それを自分で塗装したりして。駒が小さくて精緻な作りなので、塗装にめちゃくちゃ細い筆を使うんです。冗談抜きで虫眼鏡とか使ってやるレベルです。
—他のメンバーとは?
ピョンヤン だいたいクラブで知りあったり、サーフィン仲間だったり、バーベキューやってたら誰かが連れてきたとか、数学オリンピックで知り合ったとか、そんな感じのゆるいつながりですね。
とりあえず『カントリー・ベアーズ』のサントラとか聴いてましたね
—音楽ありきのつながりではなかったということですね。そこからまたどういったいきさつでバンドをやることになったのですか。
ピョンヤン ざっくりと説明すると、俺が自分で音楽をやってみたくなって、知り合いで楽器できるやつを集めた感じですね。
—音楽がやりたくなったということですが、もう少し具体的なお話を聞いても良いですか?
ピョンヤン そもそもガキの頃から浦安のディズニーランドが大好きだったんです。中でもクリッターカントリー内のスプラッシュマウンテンが本当に好きで好きで。たぶん3ケタは余裕で乗ってると思うんですけど。そこから徐々にクリッターカントリーで流れてるような音楽にも興味が出てきて。でも最初は何を聴いたら良いのかわかんないから、とりあえず『カントリー・ベアーズ』のサントラとか聴いてましたね。
—カントリーだとかブルーグラスだとか、そういったアメリカンルーツミュージックに興味が出始めたわけですね。それまではどんな音楽を聴いていたんですか。
ピョンヤン 小学校の頃は主にエミネムを聴いてました。中学ぐらいから徐々にネイティブ・タン周辺を掘り下げていって。もちろんソウルクエリアンズ周辺も。それと平行してJBとかスライ、カーティスとかそういうブラック・ミュージックのクラシックも結構聴きました。兄貴の影響を受けつつ、って感じで。
—そこからカントリーに興味が移っていくわけですね。カントリーでいうと、『カントリー・ベアーズ』のサントラ以外にはどんなものを聴いてましたか?
CSの映画チャンネルでたまたま見た『クレイジー・ハート』の音楽が良かったからサントラ買って、T=ボーン・バーネットって人がいるってことを覚えて、そこから『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』のサントラを買ってみたり。コーエン兄弟の映画のサントラ揃えたり。あとはリバイバル上映で観た『ナッシュビル』のサントラも聴きました。
—ヒップホップからカントリーに興味が移るっていうのなかなかないパターンですよね。
ピョンヤン ヒップホップの場合は結構ファッションで聴いてるみたいなところがあって。もちろん音楽自体ものすごくカッコいいなと思って聴いてましたけど、日常にフィットするBGMって感覚が強かったかもしれないです。今思うとなんでアメリカのヒップホップが日常にフィットしていると感じたのかまったくもって謎なんですけど。一方クリッターカントリーで流れてるような音楽に対してはやっぱりあの風景込みで好きっていうか、とにかくあの世界観が大好きで。でも、ディズニーランド自体がそうですけど、あそこは非日常的な空間なわけじゃないですか。だから、非日常感を求めるっていう意識でクリッターカントリー的な音楽を聴いていた感じですね。それと、テイラー・スウィフトが元々カントリー歌手だったってことも結構ショックで。
「はいはい、ジブリね」みたいなテンションで
—話が前後してしまいますが、そこから実際に自分でもやってみようと思ったきっかけは何だったんですか。
ピョンヤン 結構ベタで恥ずかしんですけど、いわゆるアレです。『耳をすませば』。
—聖司くんが「歌えよ。知ってる曲だからさ。」と言って雫に「カントリー・ロード」を歌わせるシーンですか。
ピョンヤン そうですそうです。当時高校生だったから結構「はいはい、ジブリね」みたいなテンションでテレビ観てたんですよ。で、例のシーンで出てきたお爺ちゃんたちがめちゃくちゃ渋くて、気付いたら心奪われてましたね(笑)。それで、楽器弾けるようになんないと!と思って、翌日早速楽器屋に行きました。
—そこで買ったのはアコギですか?それともバンジョー?まさかフィドル?映画だとリュートを弾いてるおじいさんなんかもいた気がしますが。
ピョンヤン 鍵盤です。キーボードっていうんですか。ボタンが光ったりして見た目がカッコ良かったし値段もそこそこだったんで。ディズニーでいうとトゥモローランドの感じで、テンションあがって。なんだかんだスター・ツアーズとかもやっぱ好きなんですよ、結局。で、家帰って封開けていじったんですけど全然音が出ないんですよ。ていうか電源入れるところさえないんで、なんだこれ不良品かと思って。それで、ラブホテル君に連絡したんです。彼がニコニコ動画で何か音楽っぽいことやってるって知ってたんで、機械のことに詳しいんじゃないかって思って。そしたら「それMIDI鍵盤だよ」とか言われて。「は?」って感じだったんで、そんときに俺めちゃくちゃキレちゃって。まあ、でもそのあとラブホテル君が一から教えてくれたんです、DTMに関する知識を。
—ということは、楽器を始める前にいきなりDTMから始めたんですか?
ピョンヤン いえ、なんかやりたいことと違うなと思ったんで、結局そういう方向には行きませんでした。でもラブホテル君とせっかくだから一緒に何かやろうよって話になって。ひとまず彼には『カントリー・ベアーズ』のサントラを聴かせました。そこから俺の鼻歌をラブホテル君に曲っぽく仕上げてもらうっていう作業をやり始めて。そのときから自分で歌詞を書くようになりました。同時にラブホテル君にアコギを借りて練習したりもしてましたね。でもやっぱり出自が『耳をすませば』の例のシーンだから、ああいう感じでやりたいねって話してて。それで、知り合いに楽器やってる奴いないかって探して、興味持ってくれたのが今のメンバーですね。
—その時点で既にバンド名もNanso Country Clubだったんですか?「カントリー」っていうテーマがあったうえで。
ピョンヤン バンド名に関してはメンバーが揃ったタイミングで今の名前をつけましたけど、テーマ的には「カントリー」っていうより「ゴルフ」ですね。
—「ゴルフ」ですか?
ピョンヤン 元々親父がゴルフやる人間で。母親も母親で打ちっぱなしに行って運動不足を解消する感じの人だったんです。だから、小さい頃から家にゴルフクラブがあるのが当たり前の環境だったし、日曜日はテレビで親父の横でゴルフ中継見たり、パターマットで遊んでみたり、家族でマリオゴルフやったりみんゴルやったりとか。そんな感じでゴルフがすごく身近だったんです。兄貴はワーゲンの二代目ゴルフをレストアして乗ってましたし。あの車ってめちゃくちゃかわいいじゃないですか。そんなこともあってゴルフっていう単語にものすごくポジティブな印象を持ってたんです。今で言うとタイラーとかも結構使ってますよね。でも、そのまんま使っちゃったらもったいないっていうか、大事なときまで取っておきたいなって思ったので、ゴルフはあえて使わないで今のバンド名にしました。クリッターカントリーのカントリーともかかってるし、おもしろいかなと思って。
後編に続く
https://www.youtube.com/watch?v=S2DTLbTQj0I