特に書きたいこともないし、発信したいこともないので、最近観た映画の感想でも書いていこうと思う。自分にとって映画というものは手に負えない感じがある。もはや好きかどうかもわからない。映画を観るのは好きだが、映画そのものが好きかどうかと問われたら自信をもって好きだと答えられない。そもそも好きかどうかが殊更重要な問題であると果たして言えるのだろうか。好きだから何だという問いは何事にも常につきまとう。例えば、自分が他の誰よりもクルアンビンのことを愛おしく感じているからといって先行予約の抽選に当選するというわけではない。そういう話なのか。
やはり映画の感想を考えるのは苦手だ。ストレス以外の何ものでもない。それでも書くか。書いていくのか。
『アンダー・ザ・シルバーレイク』(デヴィッド・ロバート・ミッチェル)
『イット・フォローズ』の「イット」の描写はフレッシュさを感じたしそれなりに期待していたがあまり楽しめなかった。評判が良いのでなんだか居心地の悪さを感じる。例えば『ビッグ・リボウスキ』、『インヒアレント・ヴァイス』、『ロング・グッドバイ』といった、そんなものが存在するのか不明だが、「陽光を浴びたノワールもの」に連なる要素があり、それは好物ではある。けれどもこの映画には乗れなかった。ひとつも嫌いなところがないのにあまり面白くもない。全然嫌いではないのだが。本当に。若干『シェイプ・オブ・ウォーター』や『ラ・ラ・ランド』的な趣味の良いオタクっぽさがあり、それが気になった。自分がどうあがいたところで所詮趣味の良いオタク止まりだとしても、ウェス・アンダーソン的な洗練を是としたい。主演がアンドリュー・ガーフィールドということで、スパイダーマンいじりのギャグが何個か用意されていたが誰も笑っていなかった。笑おう!
『ザ・プレデター』(シェーン・ブラック)
傑作。名作『ローガン』での軽い演技が忘れがたいボイド・ホルブルックが主演。癖の強い荒くれ者達が行きがかりで主人公に協力。決死隊を組んでプレデターと対決するというストーリーに興奮。こんなにさわやかで良いの?と不安になるほどのさわやかさをまとったSFアクション映画が2018年に作られたことに感動した。オリヴィア・マンの役どころも良かったし、律儀にサービスシーンまで用意されていた。
『クレイジー・リッチ!』(ジョン・チュウ)
傑作。ロマコメかくあるべし。すべてが上手く機能している映画。音楽に例えるならThe Emotionsの”Best of My Love”。たくさん笑ってたくさん泣いた。原題は”Crazy Rich Asians”だが、映画の中での日本のプレゼンスのなさ加減が気になった。
『クワイエット・プレイス』(ジョン・クラシンスキー)
リンプ・ビズキットのギタリスト、ウェス・ボーランドのすっぴんの状態を彷彿させる俳優ジョン・クラシンスキーが監督と主演を務める。主演は他にクラシンスキーの実の奥さんであるエミリー・ブラント。ウェルメイドなホラーで本当にハラハラさせる。シャルロッテ・ブルース・クリステンセンによる撮影もオールドスクールなホラーを再現していて良かった。ラストはジョン・カーペンター的な爽やかさがあり思わず快哉を叫びたくなった。よりにもよってこの映画を鑑賞するにあたりスマホをマナーモードにしていない客がおり、自分も電源をちゃんと切ったかどうか不安になってきたが確認しようにもゴソゴソ動いて音を立てたら迷惑だしどうしようとハラハラした。これがなかなかに良い体験で映画館で映画を観る良さはこういうところにある。
『デス・ウィッシュ』(イーライ・ロス)
イーライ・ロスによる「狼よさらば」リメイク。オリジナルのほうは昔テレ東で放送していたので観たが内容は忘れてしまった。リメイクのほうは現代の風俗を取り入れたギャグが光る。前半のテンポの良さは特筆すべきで、家族円満のシーンなんか特に気が利いていた。『フレンチ・コネクション』におけるニューヨークに通ずる殺伐としたシカゴの描き方も良し。こちらもラストはジョン・カーペンター的な爽やかさがあり思わず快哉を叫びたくなった。AC/DCの”Back In Black”に高揚。イーライ・ロスのうまさをしっかりと味わえる映画。
『クリミナル・タウン』(サーシャ・ガヴァシ)
地味な映画だが推したい。面白かった。ひんやりしてるが湿度はある、みたいな空気感がフィルムに閉じ込められていてそれが心地よかった。枕の裏の冷たさに通ずる心地よさ。思春期特有の感情の機微や親心の描き方については、『レディ・バード』よりもさりげない上に繊細だったと思う。話の筋は『ブルー・ベルベット』のような世界の暗部に青年が触れてしまうといったもの。そしてクロエ・グレース・モレッツの可憐さ。
『search/サーチ』(アニーシュ・チャガンティ)
父一人娘一人の家族。娘が突然失踪し、その行方を父が必死になって探すというドラマだが、この映画が変わっているのはすべてがPCないしスマホの画面上でのできごとになっていることだ。Macのスクリーンセーバーが映画館のスクリーンに映し出されることの可笑しさ。アイディアの勝利といえよう。ソーシャルメディアなど現代において一般的となった技術やサービスが物語を進める乗り物となる。映画はナマモノであるということを意識せざるを得ない。父が娘を探すというと『ハードコアの夜』を連想してしまうが、もはや笑うしかない悲惨さはないので、安心して観に行ってください。